50有余年の憧れの山、3度目の挑戦でやっと初登頂しました。

高校生の時に雑誌で見た槍ヶ岳にいつか登りたい、仕事や結婚で忘れていた時期から数年前に両親を見送ってから

遠くからみるだけでもと息子に相談したところとりあえず涸沢カールで様子を見ようということで2022.7月に

涸沢カールへ登頂。

涸沢カールからでは、槍ヶ岳は見えず、やはりしっかり見たいという話しからいっそのこと登ろうということになり

恐れ知らずの親子で新穂高温泉~小池新道~双六小屋~東鎌尾根~槍ヶ岳で挑戦するも大雨と強風に阻まれ中途で断念。

一度はあきらめようと思ったが、諦めきれずに実行した

年齢74歳で75歳までには、達成したいという思いから挑戦することにした

2024.7月21日大分発~京都着 孫たちの顔をちょっと見て就寝

7月22日4時発~10時上高地着そのまま登山開始

事前の情報で横尾小屋から槍沢ロッジの間で水害により登山道が壊れ応急処置にて通れるとは聞いていたが上高地から明神小屋の間も通行止めになっており河童橋を渡り梓川の左岸を明神まで歩くことになった

 今年は例年以上に熊出没情報が多く、あらかじめ熊鈴を準備したものの音が小さい最初は息子が前を歩いていたが音が小さく私の存在が不安なのか途中から私が前歩くことにした。

息子の熊鈴は音が大きく後ろからしっかり聞こえるので安心してあるくことができた。

私の鈴は音が小さく熊から「そんな音では小さくて聞こえない」とクレーrムがきそうだった。

徳澤小屋で昼食歳カレーライス(1200円)とソフトクリームを食べて元気づけにした。(12:22)

帰りには野沢菜チャーハンを食べようと心に決めて楽しみにすることにした

食後、トイレ休憩の後出発(上高地出発以来トイレは有料となり100円玉が都度必要となる、ただし宿泊先は無料)

14:30頃横尾山荘到着、ここまでは、涸沢カールに向かったときの道なので記憶にありなつかしかった。

横を山荘を過ぎるといよいよ登山道らしくなってくるがまだまだ楽なほうである

16時ごろに槍沢ロッジ着。ここはお風呂があるのがありがたい。とりあえず汗を流すことはできる。

山小屋は、環境保護のため歯磨き粉は使用できない、槍沢ロッジと横尾山荘ともにお風呂ではシャンプーや石鹸の使用は禁じられている。夏休みに入り利用者が多いためかお湯があまりきれいではなかったのが残念でした。それでも湯につかり冷たい水で体をふくと疲労が解消された

夕食は17時、朝食は5時、消灯は20時がルールである

部屋というよりも昔の関西汽船みたいに6人部屋だった・足元の二人は盗難アジア計の人のようだった

3時ころ目が覚めてトイレニいくと足元の外国人は出発しているところだった。多分いくつか縦走しているのだろう。

昨夜の夕食時自分は83歳だというおじさんが3~4人の中年女性を前に自分は高校登山部の出身であること、もう何度も槍ヶ岳に登っているとびーるを飲みながら自慢話をしていたがなんかみっともないなあと感じた

 7月23日午前6時出発 槍沢ロッジで弁当1500円を購入しやりがたけさんそうを目指した

この日のコースは本当に本格的な登山道となる

歩き始めて40分くらいでババ平キャンプ場に到着。

道はままの登山道だった。一ノ俣、二ノ俣を過ぎたころから6月30日と7月1日の豪雨で土砂崩れなどで登山道が数か所で流され応急的に復旧している箇所がでてきた。狭い山中の道路なので土木機材をいれることができず、全て手作業による工事とのことだった。しかも復旧工事したのは、近くの山小屋の方たちが、ボランティアで作業されたと聞きありがたいことであり感謝しかない

当分は川筋に沿って歩くことになる。途中槍見河原や槍見というポイントがあるが槍ヶ岳の穂先は全く見えなかった。

8時23分天狗が原に到着。対岸高い山肌から数本の滝が落ちてきている、ダイナミックで清涼感がある。

あの滝で顔を洗いたい頭から水をかぶりたい心境でした

このあたりからも槍ヶ岳は見えず前方の登山道を先行者が登っているのが見える。地図で確認してもまだまだのようである

大曲でどちらに行くか迷ったがノーマルなコースを選んだ

そのうちに水沢と大きな岩にかかれているところがあった。どうやら水場のようである。上をみると残雪がありそこから流れてきているようだった。試しに沢にてを淹れて顔を洗おうとしたが手の感覚が一瞬でなくなるくらい冷たい。

まさに手が切れそうな水だった。手ですくって飲むとなんという冷たさで甘露甘露というのだろうか。うまかった。

後から中年の夫婦が来て飲めるのかときかれたので飲んだけど大丈夫でしたとこたえるといきなりてで救い上げ飲んだ瞬間「オーツ」と大きな声を出して感動していた。ここで9時11分

息子に昼食はいつにすると聞くと槍ヶ岳山荘についてからとの返事。

さらに登りながら尾根を一つ越えた感があり景色が広がった右上を見ると槍ヶ岳が突然姿を見せた。

やっとやっと近くで槍ヶ岳をみることができた

同時に槍ヶ岳山荘、殺生ヒュッテの屋根も見え始めた、そして西鎌尾根もみえてきた。西鎌尾根経由で槍ヶ岳を目指している人も見えてきた。ここからジグザグに槍ヶ岳を目指すが岩だらけのガレ場です。そのうちにバンリュウ上人の悟りを開いたという坊主の岩につく。そのまま登山の無事を祈った。登るにつれて残雪が多くなったがトラバースする場面もあった

山荘への距離標識がでてから角を曲がるごとに数字g小さくなるのがうれしかった。

11時34分槍ヶ岳山荘着。まずは楽しみの弁当を槍ヶ岳山荘のテラスで食べる。チラシ寿司だけどうまかった

そして息子が家から持参したコーヒーをテラスで飲んだ。持参のバーナー、小山珈琲、沢の水で建てたコーヒーは最高にうまかった。チェックインし、部屋に荷物を置いていよいよ槍ヶ岳山頂をめざす。とにかくちかくで見る槍ヶ岳山頂は岩山だった。

多分、火山のドームだったのだろうか。

先頭で登り始めたが登りの印を追いかけて登りが以外と足場がない。登りは下りよりも鎖やはしごが少なく足場を探しながら登ると最後のはしごにたどりついた。20mくらいを一気に登ると頂上についた。沢山のひとが陣取って正に立錐の余地なし、頂上神社の記念写真を順番で並ぶ。立って記念写真と思ったが立てない、あしもとがデコボコしていてたちづらい上に人がたくさんいるのでさっさとおりることにした。下り専用のはしごをつたって下りるが登りにくらべて相当こわかった。

鎖につかまって下りるがあしばがわからず鎖をもって大きく外側にジャンプしてハングオバーしている下のいわに足をつけて下りることが数か所、何も持つとこがなく足を延ばして足場を探すこともあり結構怖い思いをして下山した。

肩にある槍ヶ岳山荘は、ラッキーにも個室がとれた。ただし3人部屋の二人使用なので差額を支払ったが他人がいないのでゆっくりできた。

トイレと水事情 といれは、バイオ式のトイレです。昨年の双六山荘は水洗で下界までヘリコプターで卸す方式に比べ、涸沢山荘と同じバイオ式である。使用後の神は前のゴミ箱にいれることになる。入れることになる。 その箱がいっぱいになったら上から押し込む竹棒があった。のが笑えた。慣れるまではついつい便器に捨ててしまった。

目の前のポスターが怖かった{あなたの大事なもの2度と帰ることはありません」ものを落とさないようにという注意メッセージだけどおとしたくない。

 水の確保は大変なようです。稜線に降った雨を集めてタンクにためて使っているらしい。当然ながら水の出方はチョロチョロである。当然ながら洗濯は不可、歯磨きは何もつけずに行う。女性の化粧落としも不可。水の大事さをよく理解できた。

夕食後に再びテラスでコーヒーを飲む。槍ヶ岳の前で飲むコーヒーはうまかった。

 このあたりだけ携帯の電波が入るので電話やlineができた。

テレビもない山小屋の夜は寝るしかない20時消灯

0時ごろ目が覚めて窓から外を見ると丸い月が槍ヶ岳を照らしきれいだった。撮影を考えたが寒いのと寝ているひとの睡眠妨害になるのではと諦めた。実は寒い、メリノウールの下着、長袖の登山用シャツ、フリース、ウインドブレーカに布団を着てねていうが寒い寝づらい、前夜の槍沢ロッジのほうがよく眠れたきがする。ここは標高3000m、明日は、6時発で16時までは上高地バスターミナルにつきたい。

朝4時ごろ、屋根のトタンを雨が叩く音で目が覚めた、一面霧で真っ白だった。さらに雷が鳴り始め頭の中が真っ白になった。

食後6時出発を目指し準備を行う。今回の槍ヶ岳のために新しく買ったカッパを着てレインカバー、シューズカバーの重装備で

予定通り出発した。 出発後に気づくと雷は止まり風が出て霧も晴れてきた。ちょうど槍ヶ岳の雄姿が見えなくなるちてんだったが雄姿は雲の中で見送ってもらえなかった。このあたりで右足の親指付近の痛に気づいたが土砂降りの中雨除けもなくそのまま下山を続けた。夏休みにはいいたばかりなのに学生ぽい登りの登山者とすれ違う。訓練されているのか道を開けてくれるがマナーのよくないグループは、初老の女性に多く道を譲ることなく常にマイペースで下山をつづけていた。

しかし足が痛くだんだんとスピードが落ちてくるが後ろからくる息子はなにも言わずについてくる、彼の熊鈴がスピードを上げろと聞こえる。彼の都市の私なら彼に早く歩けと怒鳴っていただろう。素晴らしく成長したものだ。

なんとか槍沢ロッジにつき靴をみると紐がはずれていた。靴紐のかけ方が甘かった。自分の不注意によるものだ。

こんなことは登山歴上初めてのことだった。ちゃんと靴を履きなおすと少しは楽になった。

横尾山荘着、ほとんど休むことなくトイレ休憩のみで出発し徳澤小屋をめざした、昼食の野沢菜チャーハンを食べるために。

13時30分徳澤小屋着野沢菜チャーハンを注文しようとしたが、カレーライスとピザ以外は売り切れだった。

彼に申し訳ないのでピザをおごって許してもらった。

再び急ぎ足で下山開始、15時55分上高地バスターミナル着

今回の和t士の夢が実現できたのはひとえに息子のおかげである

皆がうらやましいという。私は自分の父親にそんなに優しくできただろうか?

江田島旧海軍兵学校旅行、天草余光、柳川旅行くらいか

それでも成敏君の対応に比べれば恥ずかしきことだろう

息子よありがとう。人生最高の感動でした。ひとつづつ夢がかなうのはうれしいがまだ欲張ってよいのだろうか?

息子ありがとう