1888年のVinacciaを手に入れました。

前所有者が言うには、製作後少し弾かれた後は、ケースに入れられ最近まで眠っていた状態のマンドリンです。

確かにフレットの摩耗もほとんどなく、小傷も僅かです。オリジナルの木箱ケースも付いているのですが、ケース内部は100年以上経過してるにもかかわらず非常に綺麗です。オリジナルの状態でこれ程までに綺麗なマンドリン、ケースも珍しいでしょう。

 

それもそうですが、もっと驚愕すべきはラベル。Pasquale Vinacciaは1882年に亡くなっており(一説には1885年ですが)、死後もPasqaleのラベルが付いた楽器と兄弟のラベルが付いた楽器が同時に作られています。1884年4頃から兄弟の名前が入ったラベル(FLLI GEN.ED ACHI..LLE VINACCIA FU PLE)が見られるようになります。しかしネット上ではPasqualeのラベル(PASQUALE VINACCIA E FIGLI)の付いた楽器は1886年まで確認できます。この楽器のラベルのは1888年、かなり亡くなってから時間が経過してます。しかし、楽器の作り仕様からしてこの時期にこのような上質な楽器を作れる工房はVinacciaしかないでしょう。この時期のVinacciaの現物を何度も見ている人なら判ると思います。贋作はありえず兄弟がいた工房で作られたものです。

 

なぜ二種類のラベルが同時期に存在するのか?

やはりPasqualeの存在は偉大だったからでしょう。王室御用達になったのもPasqualeの存命中です。名前がかなり知れ渡っていたでしょう。だから無名の兄弟の名前では当初楽器は売れない可能性もあったはずです。楽器商や販売代理店がPasqualeのラベルを要求した可能性もあります。ちなみにカラーチェ社はジョゼッペの代になってもラファエレのラベルのままでした。あまりに父親が偉大だったから変えられなかったのでしょう。だから自分の息子にはラファエレと名付けた。自分の名前を名乗れなかった悔しさを息子にもさせたくなかったのではないでしょうか。ジョゼッペカラーチェでは確かに売れなかったでしょう。あまりに父親が偉大だと子供も苦労するものです。いつの世の中でも変わりません。Vinacciaのラベルの件も理由は調べましたが分かりません、しかし、これが一番の理由である気がします。1890年代に入りやっと自分たち兄弟の存在を認知させて、Pasqualeのラベルから解放されたのでしょう。

 

この楽器に話は戻ります。

楽器は良く本当に眠りから覚めた状態です。

小傷もほとんどなく、フレットの摩耗もほとんどありません。

オリジナルの楽器としてはとても保存状態が良いほうでしょう。

ボディは小ぶり、飾り板部分には縁取りがあり、ペグカバーもあります。テルピースも彫金付き。表板も木目が密の上等な材質。バックも木目が綺麗に浮き出たハカランダです。量産モデルではないのは明らかです。

 

木箱タイプのケースも綺麗です。ケース内を覆うフェルトの赤い部分も色も褪せず、汚れも少なく鮮やかです。とても130年以上経過しているとは思えないです。蓋を留める金具はなく、保管専用ケースだったと思います。厚い木で出来ていて重量感があり、ちょっと目には木棺に見えます。家族からはミイラボックスと言われます。