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最近またVinacciaを手に入れた。
1937年製で昨年紹介した1934年製と同様飾り板がない。
大きさは小ぶりで胴の長さは30センチしかない。1934年より小さい感じだ。
後期のものでこのように胴が小さいのはあまりないかもしれない。

音は1934年のと同様かなり骨太の厚い音がする。特に中低音部は男性的だ。音量も大きい。
また明瞭で歯切れもよく音の分離もいい。ただ、Egildoなどと比較してしまうと高音部の音の伸びがなく硬めだ。Vinaccaは全般的にそのように感じる。

ほんとうに飾り板という無駄がないせいか音のパワーはある。現代の製作家も研究してみる価値は
あるかもしれない。(以前触れたが松島マンドリンだけは例外で飾り板がなくこの当時の作りだ)

1934年のVinacciaはA線の音色が今一だったが、これはそうでもない。
とても気に入ってしまった。ずっと持っているかもしれない。

第二次世界大戦がもうすぐという時期のものだが、質的にはまだ落ちていない感じがする。
質的に明らかに落ちたのは戦後のものだ。戦前までの職人がいなくなったからかまったく別の楽器
になっている。

リブの剥がれが少しだけあるので、近いうちに小林 茂氏に修理してもらおうと思う。

そうそうこのVinacciaを弾いて思うのだけど、ムニエルのラブソングを弾くのには都合が
いい楽器だ。この楽器のネックの幅、弦の間隔だと冒頭の8本全部弾いた時に左指にぶつからず、
ぶれない。広すぎず狭すぎずとてもいい感じだ。愛用のVinacciaを念頭に入れて作曲した
かもしれない。音も大事だが、こういう仔細な弾き易さも楽器を選択するには大事だろう。
なので、ラブソングを弾く時はこの楽器だな。曲により楽器を変える人はいないが、私はこういう
仔細な事が気にかかる。音色や響きも楽器毎に違うから、曲ごとに合う楽器で出来れば演奏したい。

一つの演奏会で2本以上楽器を用意するていうのはプログラムによってはありだと思う。
どんな楽器の演奏会でもそんな事をする演奏家はほとんどいないが、一つの楽器に拘る必要なぞな
いと思う。むしろ聴衆は音の変化を楽しめる。一つの楽器でどんな曲も上手く弾きこなせなければ
いけないなぞという意識が演奏家にあったら、それは間違いだと思う。そんな万能の楽器はありえ
ない。人間と同じで、それぞれ個性があるのだから、個性を活かせばいいのだ。

特にマンドリンはある程度規格化されたバイオリン等と違い多様化している。フラットもあるしGelasのように二枚板のもある。素材もメープルもあるしローズウッドもある。リブを彫りこんでいるのもある。色んな音の可能性を秘めた楽器ばかりだ。これらの違い、個性を演奏に反映しない手はないはずだ。残念な事にそれを理解し実践している演奏家は稀だ。マリオネットの吉田氏が最近曲によってポルトガル風のマンドリンを使うようになったが、これはとてもいい事だと思う。

ちょっとVinacciaの話から脱線してしまったが、とても大切な事だと思う。まあバロック期の曲をその当時の楽器やコピー楽器で演奏するという程度は一般的になったが、現代や近代の曲でもやられたらと思う。