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Vinacciaのフラットマンドリンは実際存在し、私の手元に到着したが、この楽器にはいくつかの謎がある。

一番目の謎はやはり、それまでボウル一筋だったVinacciaが、なぜこの時期にフラットマンドリンを作ったかということだろう。

考えられる事は3つある。
一つ目はVinacciaのボウルを、誰かがフラットに改造したという事。これはちょっと技術的にも困難だろうし、そんな手間をかけても、どんな音がするか分からないので、あえてやらないだろうと思う。
リブが壊れたら、リブを直せばいい訳で、フラットに変える事はまずありえない。
やはりVinaccia自身が、意図的に一部ボウルの部材を流用してフラットを作ったとみるべきだろう。Vincciaはギターも作っていたので、フラットのマンドリンを作るのは、技術的にも困難が伴う訳でもなかったと思う。


二つ目はボウルマンドリンが作れなかった状況なので、フラットを作ったという仮説も考えられる。
たとえばボウルマンドリンを作るのに必要な型枠が戦時中のドサクサで紛失したとか、、、
これもちょっとありえないだろう。型枠なら、他の工房のものを使えばいい。

消去法でいくと、次の3番目だろう。
誰かの依頼、もしくは手っ取り早くお金にする為にフラットにしたという事。
この時期、楽器を新たに手に入れる余裕のある人間は、敗戦国にはいなかったろう。
依頼人はアメリカかイギリスといった戦勝国の人物であった可能性が強い。前所有者はアメリカ人なので、アメリカに長くこの楽器があった可能性が強い。アメリカのこの時期は、すでにマンドリンはフラットが主流であったはずだ。アメリカ人の依頼主の要請であえて、フラットを作ったのかもしれない。依頼主は楽器商であったかもしれない。それでも、地元で人気のフラットを作る事を要請しただろう。依頼した数は少なかったはずだ。なぜなら、ヘッドの彫刻は、短期間にすぐに作れるものではないからだ。もしかしたら、このヘッドは戦前作られた在庫を流用した可能性もある。ヘッド彫刻といい、インレイの装飾といい、豪華さを打ち出して、少しでも高く売りたいという気持ちが表れているように私には見える。経済的にかなり逼迫した状況だったと考えられるので、ありえる事だと思う。

なぜフラットを作ったかという謎以外に二つの謎がある。

一つ目はラベル
左上部分が切れて、貼り直している。胴の中の事なので、製作段階で、貼り直したとしか思えない。胴の内部で自然に切れるものではない。戦争後なので、紙の確保も印刷もままならなかったので、戦前の在庫のラベルを流用したのではないだろうか。切れていても、使用せざるを得なかったのである。若い人には理解できないかもしれないが、戦後は紙を確保するのも容易ではなかったのである。日本のノーベル賞物理学者湯川秀樹氏が戦後一番困った事は計算式用の紙が手に入らなかった事だと述べている。イタリアでも同じような状況だっただろう。

二つ目はメープルのネックや裏板に塗られた茶色い塗装
恐らく、アメリカンフラットのようにローズウッド仕様にしたかったのだろう。
しかし、戦後なので、輸入品であるローズウッドやハカランダは高く、手に入れにくかったはずだ。メープルなら欧州内で産出、手に入りやすい。メープルにして、ローズウッドに見せるように茶色く塗ったのではないだろうか。

<6月16日追記>
いろいろ考えましたが、この楽器は売る事にしました。
珍しいものなので、マンドリン博物館への寄贈とかも検討したのですが、修理しないままの状態では、逆に迷惑になるだろうと思ったのです。