1980年代初め、友人がウインドサーフィンに夢中になっていた影響で、僕も軽い気持ちで始めてみたことがある。
夏のあいだに何度か海へ通い、ひとりで乗れるようになった頃、その出来事は起きた。
陸から海へ向かって風が吹く中、バランスを崩して何度も海に放り出されているうちに、気づけば岸からかなり沖へ流されていた。
沖に出ると海水は急激に冷たさを増し、その冷たさが恐怖心をさらに強くした。
体力はどんどん奪われ、「もう自力では戻れないかもしれない」と思い始めていた。
命の危機を感じている自分の視界の先では、たくさんの人が楽しそうに海遊びをしている。その絶望的な対比が妙にシュールだったのを憶えている。
ボードにしがみつきながら、自分の未熟さや、もっと慎重に行動すべきだったという後悔が胸に重くのしかかった。
それでもパニックにならずにいられたのは、友人が必ず気づいて助けてくれると信じていたこと、そして海の近くで育ったおかげで「流されたら流れに逆らうな」と子どものころから教えられていたからだと思う。
どれほど時間が経ったのかは覚えていない。体感的には長く感じたが、せいぜい30分ほどだったのかもしれない。
僕がいなくなったことに気づいた友人が沖へ捜索に出てくれ、漂流していた僕を見つけてくれた。
友人は一つのボードに二人で乗ってきて、そのうちの一人が僕のしがみついていたボードに乗り移り、はるか遠くに感じていた海岸へ、あっという間に戻してくれた。
一歩間違えば事故になっていた出来事だったが、幸運なことに何事もなく救助してもらえた。
自然と接するレジャーは、少しの知識や経験の差で生死を分けることがある。
かつては身近だった自然が、人々の生活からどんどん離れつつある現代ではなおさらだ。
自然への畏怖と謙虚さを忘れずにいるために、僕たちは何を大切にすべきなのだろうか。
海や山での遭難のニュースを見るたびに、そんなことを考えてしまう。