武蔵野の怪談ーその一「地獄谷の妖怪」 | 八海老人日記

武蔵野の怪談ーその一「地獄谷の妖怪」

 江戸の元禄時代の前の延宝年間というから17世紀後半の頃である。麹町六番町から二番町に至る間は低地が連なっていて、人呼んで「地獄谷」といい、行き倒れ人や、罪人の死体を放置する場所で、骸骨がごろごろ転がっていたそうな。ここで発生した一つの怪談が言い伝えられていた。


 地獄谷に夜な夜な妖鬼が現れるという噂が立った。町方の涼み台では、それは通行人を苦しめる「高入道」か「見越し入道」(いずれも江戸時代の妖怪で、見上げるような大男のお化け)に違いない、などと、妖怪の噂で持ちきりであった。夜になると人っ子一人通らなくなった。


 噂を聞いて奮起した一人の武士がいた。「戦乱も収まった治世の御代に、奇怪な風説を聞くものかな。どんな妖怪か正体を見届けてやろう。」と、身支度も甲斐甲斐しく、その夜、地獄谷の土手の下に身を潜ませていた。


 人魂が出る死人の谷に、月も西に傾き、最早丑三つ時と思われる頃、ふらふらと向こうの木陰から、彷徨い出た白衣の人影があった。「さてこそ妖怪のお出まし・・・」と、武士は土手を降りて木陰へと忍び寄る。見ると男である。しかも僧の格好をしている。それが何やら抱えている。月の光に透かして見ると、抱えているのは死体、それも若い女の死体だ。黒髪が頬に散って凄美な死顔だ、と思う間に、男は死体の胸に食らい付いた。


 女の死体の乳房に、ガブリと食らい付いたその形相の恐ろしさに、流石の武士もギョッとしてたじろいだ。男は乳房を食い終わると今度は白い喉首へかぶり付いた。そして、ぴしゃぴしゃと、舌舐めずりをしながら、獣のように血を啜る。ポキポキト骨を噛み砕きながら肉を食うのであった。


 男が、人の気配を感じたらしく、キョロキョロと辺りを見回している。その時、武士が刀を抜いて躍り出た。「おのれ悪鬼め!」と、一刀両断に切りつけようとすると、男は「アッ」と叫んで逃げようとする。武士が男の襟首を掴んで捩じ伏せると、男は抵抗せずに手を合わせ、「命ばかりはお助けください。もう二度とこんなことはしませんから!」と泣いて詫びる始末。武士が事情を糺すと、この男は、元、芝の徳水院というお寺の僧であった。


 男が徳水院の僧でいた頃、病気で死んだ若い女の遺体が葬儀のため寺に持ち込まれたことがあった。お寺ではその時人手が足りなかったので、湯灌から,剃髪、引導渡し、納棺まで、一人で処理しなければならなかった。男が剃髪のとき、慣れないまま、額の肉を一寸ばかり削いでしまった。咄嗟のことで、男はその肉を隠そうとして口に入れてしまった。ところが、口中に残った肉の味がなんとも忘れられない味であった。「もう一度だけ」と思って女の墓場を掘って死人の肉を食ったのが病みつきとなった。遂にそれが露見して男は寺を追い出された。宿なしになった男は、野良犬のように、人肉を求めて地獄谷を徘徊する様になったのである。