第十八話「布引の滝」(原典第八十七段)
<現代語訳>
むかし、ある男が、摂津国菟原郡(うばらごおり)芦屋の里に領地があったので、そこへ行って住んだ。昔の歌に、「芦の屋の灘の塩焼き暇なみ 黄楊の小櫛も差さず来にけり」(芦の屋の灘の塩を焼く海女は、暇もなく忙しいので、好きな黄楊の櫛も差さずにやって来た。)と詠まれたのはこの里で、ここを芦屋の里と言った。
この男は、名ばかりとは言え、宮仕えをしていたので、その縁で衛府佐(えふのすけ)などの宮仕えの仲間達が遊びにやって来た。男の兄も衛府督(えふのかみ)であった。一行は、男の家の前の海辺を遊び歩いているうちに、「この山の上にあるという布引の滝を見に行こう」ということになり、山を登って行って見ると、その滝は普通の滝とは大層違って見えた。
長さは二十丈、幅は五丈ばかりの岩の上に、丁度白絹でその岩を包んだ様に水が落ちていた。そんな滝の上に円坐ほどの大きさで突き出ている石があった。その石の上に走りかかる水は、小さい蜜柑か栗の大きさで零れ落ちている。さて、そこに来た人みんなに滝の歌を詠ませることになった。
衛府督が先ず詠んだ。「わが世をば 今日か明日かと待つ甲斐の 涙の滝といずれ高けむ」(この世が自分の思いのままになる日が今日か明日かと待っているが その甲斐もなく 自分が嘆く涙の滝とこの滝とどちらが高いだろうか)
あるじの男が次に詠んだ。「抜き乱る人こそあるらし 白玉の 間なくも散るか袖の狭きに」(この滝の上で誰か、緒に通した玉を抜いて散らす人がいるようだ。白玉が絶え間なく散ることだ。白玉を受けて包もうにも私の袖はこんなに狭いのに。)男がそう詠んだので、回りの者たちは妙な気分になってきて、この歌に感心したことにして、もう詠むのを止めにしてしまった。
帰り途は遠くて、亡くなった宮内卿・もちよしの家の前まで来ると日が暮れてしまった。我が家の方を眺めると、海女の焚く漁火が沢山見えるのであるじの男が詠んだ。「晴るる夜の星か川辺の蛍かも わが住む方の海女の焚く火か」(晴れた夜の星だろうか、それとも川辺の蛍だろうか。或いはまた、自分の住んでいる芦屋辺りの海女の焚く火だろうか)
それから一行は家に帰って来た。その夜は南の風が吹いて、波が大層高かった。翌朝早くその家の召仕の女共が海辺に出て、波に打ち寄せられた浮海松(うきみる)を拾い集めて家の中へ持って来た。奥方がそれを高つきに盛り、その上に柏の葉を被せて客の前に出した。その柏の葉には次の様に書いてあった。「わたつみの 翳しに差すといわう藻も きみがためには惜しまざりけり」(海神が翳しに差すという藻も、あなたのためには惜しまず打ち寄せてくれたのでしょう。)
田舎女の歌にしては、出来過ぎだと褒めておこうか、それともやっぱり不出来だと言ってやろうか。
<注釈>
【摂津国菟原郡芦屋】
現在の兵庫県芦屋市近辺。
【黄楊の小櫛】
昔から女の大事な化粧品。
【衛府】
宮中を警護する役所。「佐」は次官、「督」は長官。
【布引の滝】
神戸市の六甲山登山道の途中に今もある滝で、古くから名瀑として知られる。
【二十丈】
一丈は約3m.。二十丈は約60m。
【宮内卿】
宮中の事務を管轄する役所の長。
【もちよし】
藤原元善朝臣(生没不祥)のことだと言われる。
【海松】
食用になる海藻。
<鑑賞>
伊勢物語の中には、長い年月の間に、洗練されて行った段章もあれば、余計な手を加えて出来損なったと思われる段章もある。「布引の滝」は後者の一つの見本かとおもわれる。初期の原典87段は、芦屋の海女の風俗歌が主で、「布引の滝」の挿話と歌は後から加えられたもの。