第十七話「目離れせぬ雪(めかれせぬゆき)」(原典第八十五段)
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<現代語訳>
昔、ある男(在原業平)がいた。子供の頃からお仕えしていた君(惟喬親王)が、出家しておしまいになった。男は正月には必ず、小野の里のお住まいにお伺いした。男は、宮仕えの身だったから、普段は伺うことはできなかったが、昔の心を失わずに、正月だけは参上した。業平のほかにも昔お仕えしていた人々、俗人や法師などが大勢集まったので、正月のことだから酒を賜った。
その正月は、雪が天からこぼれるように降りしきって、一日中止まなかった。人々は皆酔って、誰言うとなく、「雪に降り込められて」という題で読み比べしようと言うことになった。男が、「思えども 身をし分けねば 目離れせぬ 雪の積もるぞ わが心なる」(宮仕えの身で この身を二つに分けることができませんので、お仕えしたいと思っていても、どうにもなりません。ところが今、目が離せないほど雪がどんどん降り積もって帰れなくなったのは、私の心が天に通じたのでしょう。望むところです。)と詠んだので、親王は大層感動なさって、お召し物を脱いで男に賜った。
<注釈>
【目離れせぬ】
目を離せない。
【惟喬親王】(これたかのみこ)
844~897年。55代文徳天皇の第一皇子。紀有常の妹・静子を母とする。藤原良房の娘・明子を母とする第四皇子・惟仁(これひと)親王(清和天皇)に56代の皇位を継がれ出家する。業平とは義理の従兄弟同士。紀有常は業平の舅に当たる。
<観賞>
第十五話、「渚の院」(なぎさのいん 原典第八十二段)辺りから、歴史上の実在人物、惟喬親王、紀有常などが登場してきて、「伊勢物語」生成第三期の特徴が明瞭である。56代の皇位を継ぐ筈だった惟喬親王が、藤原氏の圧力での退けられ、生後僅か九ヶ月の惟仁親王が皇位を継ぐことになり、惟喬親王は不本意な一生を送り、遂には出家して、都から離れた小野の里に隠棲するという古代公家社会の典型的悲劇の一つのパターンを示している。