第八話「筒井筒」(原典第二十三段)
<現代語訳>
むかし、隣り合った地方官の子供同士の男女が、いつも筒井戸の傍で遊んでいたが、やがて二人とも大人になって、お互いに気恥ずかしくなり、顔を合わせることも無くなった。然し男は、どうしてもこの女を妻にしたいと思った。女もこの男と思っていたから、親が他へ縁付けようとしても言うことを聞かなかった。
そんなある日、隣の男からこんな歌を送ってきた。「筒井筒いづつにかけしまろが丈 過ぎにけらしな妹見ざる間に」(幼い頃、あの筒井戸と背比べして遊んだが、貴女と逢わないでいる間に私の背丈もすっかり伸びてしまった)。
これに対し女が歌を返した。「比べこし振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき」(貴方と長さを比べあってきた私の振り分け髪も もう肩を過ぎるまで伸びてしまいました 貴方以外の誰にこの髪を上げましょうか)。こんな風に詠み交わしてとうとう本意を遂げて結婚してしまった。
こうして何年か経つうちに、女の親が亡くなり、暮らしも頼りなくなってきた。男も、いつまでも、妻と一緒に不本意な生活を続けるわけにも行かず、河内の高安という所に別の女が出来てしまった。元の女も別に厭な顔もせず男を出してやったので、男は、女に他の男が出来たのかと疑った。
或る時、庭の植え込みの中に隠れて、河内へ行った振りをしていると、元の女は、大層美しく化粧をして、「風吹けば沖つ白波竜田山 夜半にや君が独り越ゆらむ」(あの寂しい竜田山を、真夜中、貴方が独りで越えるのは心配だ)と詠んだので、男はそれを聞いて愛おしさに胸が一杯になり、河内へ行こうともしなくなった。
<注釈>
【筒井筒】
伊勢物語の話から転化して、幼馴染の男女が、愛し合い結ばれることを、筒井筒と言うようになった。室町時代、足利義満に仕えた偉大な能役者で能作者でもあった世阿弥が、伊勢物語の筒井筒の話を脚色し、古今の名曲「井筒」を作った。
【当時の結婚制度】
当時の貴族の結婚制度は、婿取り婚、婿入り婚、招婿婚などど言われ、男が女の家に三日間通うと婚姻が成立し、女の親の地位や財力が男の将来を左右した。女の親が早く亡くなると、男は、生活の基盤も、将来の希望も失うことになるので、また別の有力な親を持つ女の所へ通う事になる。そういう事が制度として認められた。
<鑑賞>
筒井筒で、幼馴染同士が思いを遂げて結婚しても、人の運命は儚いもの、この話のように、後ろ盾の親を失った女の許へ、男が再び戻ってくることは、現実問題としては、殆どあり得ないことであった。伊勢物語二十三段の話はあくまでも寓話的な物語で、世阿弥の「井筒」では女の霊が、二度と帰ることの無い夫を待ち続ける女の悲哀を演じている。
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