第七話「紀有常」(原典第16段)
昔、紀有常という人物がいた。三代の帝に仕えて時めいていたが、その内に時勢が変わり、普通の人よりも落ちぶれてしまった。然し人柄は、心が清らかで、高雅なことを好み、常人とは違って、貧しい暮らしでいても昔の心のままで、暮らし向きのことなど一向に構わなかった。
そのため長年連れ添ってきた妻は、次第に夫が疎ましくなって床も共にしなくなり、遂には尼になって、先に尼になっていた姉と一緒に住むことになった。有常は是まで、本当にそれほど仲睦まじいということは無かったにしても、妻がこれを最後に出て行くのを見て、さすがに可哀相に思った。然し貧しいので何一つしてやれない。それを心苦しく思って親しい友人に手紙を書いた。
そしてその手紙の最後に、「手を折りて 相見しことを数ふれば 十といいつつ 四つは経にけり」(指を折って、夫婦として暮らしてきた年数を数えると、もう四十年も
経っていることだ)と詠んでやった。友人はその手紙を見て大層気の毒に思い、有常の妻のために夜具を贈ってやって、「歳だにも 十とて四つは経にけるを 幾度君を頼み来ぬかな」(四十年も経たというから、その間に何度も貴方を頼りにしてきたことだろう)と詠んでやった。
友人の厚意こ有常は感動して、「これやこの 天の羽衣むべしこそ 君が御けしとたてまつりけれ」(これがあの天の羽衣というものでしたか。それでこそ 尊い身分の貴方のお召し物だったのですね)と詠んだが、更に喜びに耐えかねて又一首。「秋や来る 露やまごうと思うまで あるは涙の降るにやありける」(秋が来たのか 露がこんなに降りているようだと思ったら、私の袖が涙で濡れているのでした。)
<注釈>
【紀有常】
実在した歴史上の人物(815~877)。妹が文徳帝に仕え、第一皇子・惟喬親王(これたかのみこ)を生んだが、文徳帝には藤原良房の娘・明子(あきらけいこ)に生ませた第四皇子・惟仁親王(これひとのみこ)があり、二人の皇子が皇位を争い、藤原氏を外戚に持つ惟仁親王が勝利し清和帝となzつた。政争に敗れた有常は、仁明、文徳、清和と三帝に仕えながら不遇な生涯を過ごした。
【夜具】
今の布団の類とは異なり、通常の衣類に近く、絹製で綿なども使用しており、大型で暖かい召し物。
【天の羽衣】(あめのはごろも)
天女がこれを着て月の世界まで舞い上がるという羽衣伝説に由来する。
【御けし】
『御』は尊敬を表す接頭語。「けし」は古語で「着る」の尊敬語。
【文徳帝】
第五十五代。827~858年。仁明帝の皇子で母は藤原良房の妹・順子。在位中は良房権勢を誇る。
<鑑賞>
この第七話「紀有常」(原典第十六段)は、突然、例外的に歴史上実在の人物が登場する。これは、私のブログ09・03.07の「伊勢物語の世界」の「はじめに」で述べたように、伊勢物語の生成過程の三段階で、後から付け加えられた話で、初期の幻想的物語から、後期の実在人物を巡る歴史的エピsp-ドなどが加えられるようになったものである。