第六話「くたかけ」(原典第十四段)
むかしある男が、陸奥の国まで当てもなく行き着いてしまった。その国の女が、京男は珍しいとでも思ったのだろうか、只管その男に恋焦がれた。さて、その女が詠んだ歌が、「なかなかに 恋に死なずは桑子にぞ なるべかりける玉の緒ばかり」(なまじ恋焦がれて死んでしまうよりは、蚕になったほうがましです。蚕はほんの短い命でも)と、いかにも田舎じみた歌であった。
おとこは、さすがに哀れと思って、女の許へ行って寝てやった。そして未だ夜も明けない内に女の家を出た。すると女は、「夜も明けば、水桶(きつ)にはめなでくたかけの まだきに鳴きて夫なをやりつる」(夜が明けたら、あの鶏め、水桶へぶち込んでやろう。未だ夜もあけないのに、あんなに鳴いてあの人を帰してしまったんだもの)と詠んだ。
そのあと、男は都へ帰るのだと言って、「栗原の、あねはの松の人ならば 都のつとにいざといわましを」(あの栗原のあねはの松がもし人であったなら、都への土産に、さあ一緒に行こうといいたいところだが・・・・)と詠んだ。ところが女は、歌の寓意(あんたみたいな田舎っぺじゃどうしようもない)が分からずに、「あの人は私のことを思っていてくれるらしい」と喜んだという。
<注釈>
【くたかけ】
「くだかけ」ともいう。古語で鶏の蔑称。
【陸奥の国】
東北地方の旧名。蝦夷地との境界で、鎮守府が置かれた。
【桑子】
天然の繭。カイコよりやや小型で淡黄色の繭を作る。
【玉の緒】
①玉を貫く紐。
②期間の短いことのたとえ。
本文のばあいは、ほんの短い命という意味。
【夫な】(せな)
愛しい男性を指す言葉。
【栗原のあねはの松】
今の宮城県栗原市姉葉に、今でも植え継がれている松。女官として宮中に赴く途中の美しい娘がここで病のため亡くなり、その妹がここを訪れて松を植えたという伝説が残っている。、
<鑑賞>
この第六話「くたかけ」(原典第十四段)は、ある男が、田舎女を弄んだ話であるが、勿論ある男とは、業平自身のことで、京男に憧れる田舎豪族の娘を、如何にも教養のないメスとしか見ていない業平の女性観が顕わである。