(第四話)東下りーその二 不二の山、隅田川 | 八海老人日記

(第四話)東下りーその二 不二の山、隅田川

       

         

       八海老人日記

       (東下りー不二の山)

 

<現代語訳>

 駿河の国の富士山を見ると、五月の末だというのに、雪が大層白く降り積もっている。そこで一首詠んだ。「時知らぬ山は不二の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらん」(時知らずの山は富士山だ。今をいつと思って、鹿の背の白い斑点のような雪が降り積もっているのろうか)。その山は、都に例えて言うと、比叡山を二十ばかり積み重ねた位の高さで、塩尻のような形をしている。、


 なお旅を続けて行くと、武蔵の国と下総の国の境い目に大層大きな川があり、これを隅田川という。その川の岸辺に一行が足を止めて、遥かな旅路を思いやると、なんと限りなく遠い所へ来てしまった気がして、嘆きが尽きない。渡守が、「はやく舟に乗ってくれ、日も暮れるから。」と急き立てるので、舟に乗ろうとするにつけても、やはり皆はなんとも侘しい。誰も皆、都に思う人がいない訳でもないのだ。そのような折も折、白い鳥で、嘴と足が赤い、鴫(しぎ)位の大きさの鳥が、水の上で肴を食べながら遊んでいる。都では見たことのない鳥だったから、渡守に鳥の名を尋ねたところ、これは都鳥だというのを聞いて、「名にし負はば いざこと問わん都鳥 我が思う人 ありやなしやと」(都鳥よ その名に背かない鳥ならば 今尋ねたい。都で我が思う人が無事かどうかを)と詠んだら、この舟に乗り合わせた人は、皆泣いた。


<注釈>

【駿河の国】

 東海道十五ケ国の一つで、今の静岡県の中央部。

【不二の山】

 富士と書くのは現代風で、昔は不二又は不尽と書いた。

【比叡山】

 大津市と京都市の間にある高さ848mの山。平安時代、最澄がこの山で修行して天台宗を開き、延暦寺を建てた。富士山が比叡山の二十倍の高さとは大げさ過ぎ。

【塩尻】

 塩田での製塩作業の最後で、円錐形に積み上げられた塩を含んだ砂の山。

【武蔵の国】

 今の東京都、埼玉県、神奈川県の一部を含む地域。

【下総の国】

 千葉県北部と茨城県南部を含む地域。

【隅田川】

 現在、東京都と千葉県の間を流れる川は江戸川で、業平が川を間違えたという説もあるが、業平のいた頃、隅田川は武蔵と下総の間に有ったかも知れない。なお、業平と渡守のやり取りは、室町時代の観世元雅により、謡曲「隅田川」に採り入れられ、人買いに幼いわが子・梅若丸を浚われ狂った母の話に脚色された。

【都鳥】

 ミヤコドリは、ミヤコドリ科の鳥で、頭や背中は黒、腹や翼は白、翼長26cmの渡り鳥。シベリアで繁殖する。昔の人が都鳥と言ったのは嘴の赤いユリカモメ(カモメ科)のことらしい。


<鑑賞>

 在原業平は、実在の人物で、色好みの平安貴族であるが、二条の后(きさき、高子のこと)との情事が暴露された後、十三年間、空白の履歴がある。その間、京都東山の藤原良房邸に監禁されていたという説があり、「東下り」もそこから出たもので、昔の貴族は、滅多に旅などしないという。富士の山の話も、稲作の農民が、五月頃、富士山に残る雪のまだら模様を見て田植の時期を占ったことからの連想であるという。だが事実がどうあろうと、古典文学としての面白さに変わりはない。