西の対(にしのたい)
(藤原高子のイメージ)
<現代語訳>
むかし、東の京の五条に、皇太后の宮がおわしましたが、その御殿の西の対屋(たいのや)に一人の女性が住んでいた。その女性に近づいて行った男が、始めは本気でなかったのに、段々愛が深くなって、その女を度々訪れていたところ、正月の十日頃、女が急に身を隠してしまった。
居所は聞いたけれども、普通の人が通って行けるような所でなかったので、一層辛い思いでいた。おとこは、次の年の正月、梅の花盛りの頃、去年のことを恋しく思って、それまで女が住んでいた所へ行き、立って見たり座って見たりして見回してみたが、去年の面影は、もう何処にも無かった。男は只管泣いて、戸障子も無い板敷きに、月の出まで臥していて、「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして」と詠んで、夜がほのぼの明ける頃、泣きながら帰って行った。
<注釈>
【東の京の五条】 東の京とは、平安京の南北を貫く朱雀大路の東側をいう。現在の京都市左京区に当り、五条は平安京の南北の中心よりやや南に下がった地域をいう。
【皇太后の宮】 54代仁明天皇の皇后であった藤原冬嗣の娘・順子(55代文徳天皇の生母)を指す。
【対屋】 母屋と回廊で繫がる「離れ」で、妻の部屋、娘の部屋、妻でも娘でもない女の部屋などがあった。
【西の対屋の女】 藤原順子の兄・藤原長良(ながよし)の娘・高子(たかいこ)で、56代清和天皇の女御になることが決まっていた。
【始めは本気でなかった】 高子の入内を妨害するため、藤原氏の策謀に反対する王族達が業平に嗾けて、高子と密通させようとした。業平は美男で和歌の才があり女たらしで、その役目にうってつけだった。
【月やあらぬ・・・・】 この唄は、古今集に業平の歌とはっきり出ているので、第二話の主人公が業平であることは明白。
<鑑賞>
ミイラとりがミイラのなった形で、業平は高子にのめり込んでしまった。これが第三話の高子との駆落の話に発展する。