日本古代史論争・猿蟹合戦 | 八海老人日記

日本古代史論争・猿蟹合戦

        八海老人日記

        (京都に近づこうとしなかった源頼朝)


 井上章一(1955年、京都市生まれ、京大工学部で建築学を学び、現在、国際日本文化研究センター勤務、専門は風俗史)著・「日本に古代はあったのか」(角川選書・平成二十年七月十日初版)を読んで初めて知ったことであるが、日本歴史学界に、東大学派と京大学派があるということである。その所為か、この本が私にとって新鮮に思えた。そして、日本古代史を巡る両学派の論争が、子供の頃読んだ猿蟹合戦のように、わくわくと面白かった。


 日本歴史の古代、中世、近世を通じて、私たちが学校の教科書で習ったのは、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代迄が古代で、1192年(イイクニ)、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時から中世となり、1868年、徳川幕府が政権を返上し、明治政府が発足した時から近世が始まると言う時代区分で、今でもそうなっていると思っていた。ところが、そういう時代区分は、京大学派に言わせると、関東史観と言って、まるで偏った見方なのだと言う。


 私もこの本を読み始めた当初は、少なからっず抵抗を感じたが、東と西の猿蟹合戦のような論争を読み進んで行く内に、西側の方にも理があると思うようになった。そして源頼朝なんて、大した人物ではないと思えてきた。中国を真似た律令制を採り入れ、国に入るべき荘園からの上がりをピンハネして、優雅に暮らした貴族や公家達が次第に堕落し農民を苦しめたため、内乱(応仁の乱)が起きて荘園制が壊され、東国を中心に反律令的な武士達が現れ、公家化した平家を打ち倒し、遂に鎌倉幕府という質実剛健な政権を樹立した。貴族や公家の世から武士の世に代わったというのが日本歴史の大きな分水嶺だというわけ。


 京大学派が原に据えかねるのは、東大学派が、事毎に、西は堕落、退廃、衰退であり、東が質実、剛健、新生。希望に満ちた新しい世は東から。光は当方より、という物言い。かの大阪生まれの司馬遼太郎ですら関東史観に毒されていると西側は歎く。司馬遼太郎は、「この国のかたち」という連載の中で、東国武士の台頭がこの国のかたちを大きく変えたと述べている。鎌倉だけではなく、江戸時代も滅んだのは大阪方,勝ったのは関東方、明治維新ですら新しい時代は先ず東京奠都からと、関東史観を裏付けするようなことばかり。


 結果がそうだからと言って、関東史観が正しいとは言えないと西側は反論する。鎌倉時代だって、武士は関東だけにいたわけじゃない。九州や四国や中国地方にも武士はいた。その証拠に元寇の時は、九州の武士が大いに働いた。足利尊氏は西側の武士に助けられて幕府を開いた。東側は改革派で西側は守旧派だなどと言う物の言い方はおかしいという。鎌倉幕府を開いた源頼朝をまるで改革派の大立者的な見方にも意義ありと西側はいう。偶々義経という野戦の天才がいたため平氏を打ち負かすことが出来たのであって、頼朝は運がよかっただけ。軍事権を奪っただけで、世の中を変える力などなかった。猜疑心が強く、肉親でさえ謀殺した。世の中は、頼朝が変えたのではなく、必然的な流れで自ら変るものなのだ。


 井上章一氏は、スケールの小さい猿蟹的論争に加わる積りは全く無く、彼は眼をもっと大きく世界に向けて、世界史的視野から発言する。世界史は、西洋史と東洋史に分けられる。西洋と東洋は、同じユーラシア大陸を共有し、西洋と東洋の歴史は、互いに独立したものではなく、西洋の歴史は東洋から分離するところから始まる。その後も互いに影響し合いながら進化して行っている。その中で井上章一氏は。ドイチ、イギリス、フランスなど西ヨーロッパ諸国と極東の国、日本の歴史との間の相似性に着目する。世界史の中で、封建時代=中世を経て、輝かしい近世へと脱皮したのは、ヨーロッパ諸国と日本だけである。


 西ヨーロッパ諸国の歴史は、いきなり中世から始まる。これらの国々は、古代ローマ帝国の衰退と共に、北方から南下してきたゲルマンなどの異民族によって起こされた国々なので、語るべき古代の文明など持ち合わせていなかった。ヨーロッパの古代文明は、古代ギリシヤ、ローマの独壇場であった。だから西ヨーロッパの諸国の歴史には古代が無い。日本も東洋史の中で、魏と交流のあった邪馬台国があり、卑弥呼という女王がいた。東洋史の中では、古代は三世紀、漢の滅亡までで、その後は中世である。従って魏も邪馬台国も世界史的には中世に含まれる。日本にも、弥生時代から古墳時代にかけて、大陸と交流のあった古代の大王や国があり、文化もあったかも知れないが、それらは詳らかではない。仏教が伝来し、律令制が取り入れられ、大陸文化がどんどん流入して来た頃は、世界史的には完全に中世であると言える。東側だの西側だのとミミッチイ議論はやめて、日本の歴史も「古代は無かった」ことにして中世から始めたらどうか。その方が余程すっきりすると井上氏は言う。




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