第31回「江戸の名所を歩こう会」ー池上本門寺 | 八海老人日記

第31回「江戸の名所を歩こう会」ー池上本門寺

        八海老人日記

        (本門寺此経難持坂の石段)


 平成20年12月23日(火曜、祭日、晴)、今日は天皇誕生日でお天気も上々。邦楽の友社主催、第31回「江戸の名所を歩こう会」は、日蓮宗大本山池上本門寺境内散策コースが選ばれた。10時、東急池上線池上駅前集合で26名が集まった。半数以上が顔見知りである。邦楽の友守谷社長、目賀田幹部も参加、リーダーは至り尽くせりの三輪幹事。資料を配って、歩き始める前にコースの説明。


 日蓮が生まれたのは、今から786年前、1222年(朝廷と鎌倉幕府が戦った承久の乱の翌年)、千葉県の小湊という所で漁夫の家に生まれた。11歳で出家し、12年間、比叡山で修行、その間にあらゆる経典を全部読んだという。その結果、釈迦が予言した末法の世を救えるのは法華経しかないと信じ、32歳の時、日蓮宗を開宗した。35歳の時、幕府のお膝元、鎌倉で辻説法を始め、39歳の時、此の儘では国が乱れ、外敵が攻めてくると予言し、「立正安国論」を北条時頼に献じた。


 日蓮は、気性が激しく、他の宗派を罵倒、批判したため、幕府から人心を惑わすものとして捕らえられ、伊豆や佐渡に流された。やがて赦免となった後、身延山に篭り、久遠時を興した。61歳のとき病にかかり、温泉療養のため常陸へ向かう途中、武蔵の池上という所で病が重くなり没した。ここに本門寺が建てられ、日蓮宗布教の中心となった。


 私たちは、池上駅から本門寺入り口の総門まで歩き、総門に掲げられた本門寺という扁額を仰ぎ見、そこから大堂へと続く急な坂を見上げた。そこで三輪リーダーからクイズ、此の扁額を書いた江戸時代初期の文化人は何と云う人か、此の坂には、加藤清正が寄進したと言う石段がある。この石段は何段あるか。本門寺の散策コースには、11のクイズがあって、これらのクイズを解きながら歩くことになっている。因みに、総門の扁額は、本阿弥光悦の筆で、石段は96段。エレベーターもありますよと三輪リーダーが親切に言ってくれたが、私は手摺に掴まって数を数えながら全部登ったら、確かに96段あった。


 五重塔やら、本殿、霊宝殿、大堂など、7万坪の境内を歩き回ったら、結構草臥れた。最後に辿りついた建物が朗峰会館。此処は結婚式場、宴会場、団体の宿泊施設、講堂などがある地上4階地下1階のビルで、このビルの奥庭が、小堀遠州の作庭による「松濤園」という庭園で、朗峰会館の中から全景を眺めることが出来る。

ここの宴会場に腰を降ろし、ビールで乾杯、懐石料理に舌鼓、お酒も飲み放題、一杯機嫌で夫々自己宣伝をして散会した。