小唄酒処「胡初奈」の思い出
(「小唄酒処・胡初奈」の看板)
平成八年頃、大学クラスメートで小唄やカラオケの趣味も一緒、無二の飲み友達であったS君が、肝臓を悪くして一緒に酒が飲めなくなり、仕方なく独りで新橋界隈をさ迷い歩くようになった。それまではよく「姉妹」というカラオケや「矢作」という飲み屋(ママがS君と小唄の相弟子)や「一好」という料理屋や「いくまつ」という和風バーなどを飲み歩いた。その頃のある日、機関車から煉瓦通りへ抜ける栄通りに「小唄酒処・胡初奈」という看板を見付けた。急な階段を二階へ上ると、入り口に「会員制」と書いてある。会員になればいいのだろうと、恐る恐る戸を開けたら、客は誰も居らず、ママとヘルパーだけ。壁に三味線が何棹もかけてある。会員になりたいんですがというと、何か一つ唄って見てと言われ、何を唄ったか覚えていないが、それから時々足を向けるようになった。
平成九年六月、目黒の八芳園で胡初奈開店三十周年記念小唄会が催され、私も出演させてもらった。それ以来、ゆかた会、忘年会、長生会(胡初奈のママは長生松奈美という名で長生会の師範)などにも出させて貰うようになった。平成十一年の忘年会が芝浦の「牡丹」で催され、私の出番で「今日一日」を唄って自分の席に戻り腰を下そうとしたら貫禄のある老人がつかつかと傍へ寄ってきていきなり名刺を出し、同姓の誼で今後ともよろしくと言われたので名詞を見たら、「鹿島建設㈱顧問 小島三雄」と書いてあった。「お名前は存じ上がております」とご挨拶したが、小島氏は、当時私が勤めていた「五洋運輸」という会社が、数年前、芝浦五洋ビルの建設を鹿島建設に発注した時の担当役員だった人である。小唄の前に常磐津を三十年もやったと言っておられた。
胡初奈のゆかた会は、毎年八月、旅行を兼ね、私が会員になってから、修善寺あさば旅館、千葉一宮館、鬼怒川温泉ホテルさくら、ジャンボオーナーズ軽井沢、信州小諸菱野温泉など、楽しい思い出が多い。特に、鬼怒川温泉からの帰り、日光の銘酒・杉並木の酒蔵を訪れ、絞りたて大吟醸をご馳走になった時は、こんな旨い酒が他にあるかと思った。それ以来毎年「杉並木」を送って頂き、お陰ですっかり杉並木のファンになっていまった。
平成十六年十二月末、六十年も続いた私のサラリーマン生活にもピリオドが打たれ、私は㈱五洋ロジテックを円満退職した。翌年早々、東京済生会中央病院のミニドックへ検査入院をした所、左の腹部に大腸癌が発見され、すぐ手術ということになり、二月一日に三十センチも結腸を切除した。その時、真っ先に見舞いに来てくれたのが胡初奈のママだった。その胡初奈のママが四十年も灯を点し続けてきた「小唄酒処・胡初奈」の看板も、昨年十二月二十八日限りで灯が消えてしまった。これから先、「小唄酒処・胡初奈」のような気楽に一杯やりながら小唄が唄える場所が無くなるのを惜しむ胡初奈の元の常連達が中心になって、本年二月、橋本喬さんのお世話で「新胡初奈会」が発足し、三ヶ月毎に新橋・烏森の「古今亭」に集まって、松奈美師匠やお弟子の奈美弘師匠の糸で小唄を楽しんでいる。、この会がいつまでも続くことを祈って已まない。