管丞相
(菅原道真公)
5月1日の室町小唄会で、世話役の柳田さんが「管丞相」を唄われた。私が習ったことの無い唄で、上村幸以さんの「小唄とはなし」にも出ていないし、同じ上村さんの「小唄百五十番」のテープにも収録されていない。天神様の小唄は幾つかあるが、管公自身を唄った小唄は珍しい。しこで興味を覚えたので、木村菊太郎の「芝居小唄」を開いてみた。なんと江戸時代の作で、歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」から採られたものであることが分かった。
歌詞を紹介すると、「管丞相は筑紫の配所(はて)に流されて 牛に召されて安楽寺 牛に召されて安楽寺 御供申すは白大夫 平馬が首は飛び梅の 怒りの顔色あるわいやい ここから睨ましゃましても 都の方へは届きゃせぬ」。
間丞相は(かんしょうじょう)と読む。岩波漢語辞典を引くと、丞相とは「天子の執政を補佐する大臣」とある。管とは菅原道真のことで、この小唄は歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」の中の筑紫配所の場を唄ったもので、管公が筑紫へ流されてから二年後の延喜三年(903年)二月下旬、是まで一度も外へ出たことの無かった管公が牛の背に乗り、白大夫(しらだいう)を供にして大宰府の安楽寺に詣でた時の話。
政治の権力を独占しようとする左大臣・藤原時平が、ライバルで右大臣の管公を
讒言によって筑紫へ流させ、更に鷲塚平馬という刺客を送り亡き者にしようとする。管公が時平の野望を知り、思わず梅の枝で平馬の首を打つと首はぱったりと前に落ちる。管公はハッタと都の方を睨み、それから天拝山の頂に登り、帝の平安を祈る三日三晩の荒行祈願を行い、挙句二月二十五日、遂に昇天して雷紳となり、時平らを悩ました。御年五十九歳であった。
《歌詞解説》 「飛び梅」:管公が都で愛でた紅梅が管公を慕って筑紫の配所まで飛んできたという伝説と、平馬の首が飛んだのを掛けている。
「睨ましゃましても」;(睨ましゃんしても)の古い言い方。
《唄い方》この唄の節廻しは「梅が枝さん」と同じ。三味線は三下りで、ト・テンチンリン ト。テンチンリンの二度目チンリンに乗せて「かんしょうじょう」と唄い出す。「うしにめされてあんらくじ」を二度繰り返すが、二度目は前より低く唄う。「へいまがくび・・・・あるわいやい」まではセリフのようにうたう。
因みに、「菅原伝授手習鑑」や「仮名手本忠臣蔵」などの、江戸庶民に愛された芝居の作者が、いずれも「いろは」という字母歌(歌の中に特別なメッセージが隠されている歌)のメッセージ「咎無くて死す」によって体制批判をしていたとは驚くべきことである。「菅原伝授手習鑑」の「手習鑑」とは「いろは」のことで、「仮名手本忠臣蔵」の「仮名手本」も同じく「いろは」を意味し、いずれも秘かに時の権力を揶揄した芝居なのである。(2007。05.07 ブログ「古代からのメッセージ」参照)