何故雄略天皇から始まるのか
(雄略天皇陵)
八海老人のブログ「万葉の世界」も、小林恵子の「万葉集」をテキストにして回を重ね、次第に朧ろげながら幻視の中から、本当の姿が見えてくるような気がする。政治の権力者たちによって偽装された日本の古代史から仮面を剥ぎ取り、文字の無い余白の中に、赤裸々な真実を視ることができる。それが「万葉集」である。政治の権力者たちも、「万葉集」までも偽装することは出来なかった。それは同時に、「万葉集」は、日本列島や朝鮮半島の政治の裏面史を暴くものだとも言える。
日本の皇室の万世一系の系譜は、藤原氏が四十年も掛けて創作偽装したものだということは、歴史家の常識である。藤原氏は、古代日本の記録を尽く焼き捨てさせたが、日本の偽装歴史を暴露する反面資料が、中国や朝鮮には残っている。これらの資料や考古学やDNA鑑定などの技術を駆使し、中国、朝鮮、日本の学者たちが協力すれば、かなり真実に近い姿が見えてくる筈だ。
日本列島が中国の人たちから倭国と呼ばれていた頃、倭国に「卑弥呼」という女王がいたことが「魏志倭人伝」に記されている。「卑弥呼」が実在した三世紀の中頃は、倭国は百余の国に分かれ、まだ混沌としていた時代である。日本書紀では、在りもしない天皇の名を十も二十も並べ万世一系などど粉飾し、「卑弥呼」が居た頃は、十五代応神天皇の御代で、摂政が神功皇后となっており、勿論「卑弥呼」の名前など出てこない。ここでは、「卑弥呼」の詮索はブログ「日本古代史」に譲って、「万葉集」が何故雄略天皇から始まるのか、小林恵子の記述を紹介したい。
日本列島の歴史は、五世紀頃まで政治的には混沌とした状態が続き、雄略天皇の頃に初めて一つの政治権力によって統治されたと見られている。雄略天皇というのは後から付けられた名前で、日本名を「ワカタケル」と言い実在した人である。「ワカタケル」は、百済の王族の出身で、百済での名は「昆支(こんき)」、兄の蓋歯王から倭国への遠征を命ぜられてやって来た。「ワカタケル」は東奔西走、従わざるものを征伐し、倭国全体を統治するようになった。そして自分は倭国の王であると宣言したのが、「万葉集」巻一の一の歌なのである。本当に「ワカタケル」が作った歌かどうか疑問視されているが、百済の方言が使われていると言うから本当に作ったのかも知れない。
百済の蓋歯王の先祖は、南匈奴(モンゴル系の騎馬民族)で、その身内が日本列島にやって来て倭国の王となった訳で、日本の皇室は、先祖が大陸から来た騎馬民族であることを隠蔽したいために、天孫降臨、万世一系などという筋書きをデッチ上げたという。お陰で後々日本国民がひどい目にあった。