消えた縄文人
旧石器時代が過ぎて、日本列島は、凡そ二万年前に地球を襲った厳しい寒冷期が去った後、次第に暖かくなり、氷が解けて海面が上昇し、約七千年前頃には、気候も地形も、現在とほぼ同じような状態になった。日本列島は大陸と完全に切り離され、対馬海峡が開いたため日本海に南から暖かい黒潮がながれこむようになった。その結果、日本列島の気候に四季の変化が生まれ、夏には南から大量の湿気が流れ込んで雨を降らせ、冬には、日本海地方に大量の雪を降らせるようになった。この雨と雪が日本列島に多くの「森」を発達させた。
縄文人が何処から日本列島にやってきたのかということは定かではないが、恐らく自然の恵みを求めて南から北から或は大陸からなど、色んな方面からやってきて日本列島に根を下ろしたものであろう。縄文人が来る前に日本列島にも原人がいたことは、今日、ほぼ確定的となっているが、縄文人が原人と違うことは、かなり発達した文化を持っていたということであろう。例えば、弓矢と土器は縄文人の一大発明品である。特に土器は注目に値いする。縄文人は土器の器で食物を煮炊きすることが出来た。
狩猟に適した草原が少なくなり、それに代わって森林が発達したため、人々は森に適応した生活をするようになった。獲物を追って転々とする移動型から、クリ、クルミ、ドングリ、キノコなど森の恵みを利用した定住型へと変化した。生活を支えるものが、「狩猟」から「農耕」へと移っていった。「農耕」と云っても米作は未だで、クリ、クルミ、ヒエなどの栽培と豚犬などの飼育が大半である。オングリやトチの実など森から採れるものはアク抜きをして口にした。縄文人がどんな物を食べていたかと云うことは、全国各地の遺跡から手がかりを得ることが出来る。それによると、凡そ300種の貝類、70種の魚類、70種の獣類35種の鳥類などである。
こんなに色々なものを食べていても、縄文人の平均寿命は14~15歳であった。生後1年未満の子供の死亡率が凡そ八割で、生き残っても35歳頃迄に寿命を終わるのが大半であった。日本人男女の平均寿命が50歳を越えるのはなんと昭和23~24年になってからである。主な理由は結核など感染症の病気、天然痘などの疫病、戦争などである。話を元に戻して、縄文時代の最盛期の日本列島の総人口は凡そ30万人といわれており、その大部分が東国の住人で、西はガラガラであった。降って弥生時代になると、縄文人は日本列島から忽然と消えてしまった。その理由は今でも謎とされているが、新しい大陸からの渡来人が齎した疫病の所為と云う人もあるが、最近のDNA鑑定の結果では、縄文人の子孫がアイヌ人であることはほぼ間違いが無いという。恐らく新しい武器を持った渡来人が縄文人を北方へ追い払ったに違いない。興味あるこである。