保名
平成六年にビクターから出された「竹苑せき作品集」という小唄のCDがある。これには15曲が収録されているが、その第一曲が「振りの小袖」である。これは清元の名曲「保名」から来ているが難しいせいか会などではあまり出ない。でも私は、この唄は竹苑せきさんの名曲の一つだと思う。今度の江戸小唄友の会で唄って見たい。実はこの唄は、昭和32年の江戸小唄社創立三周年記念作曲コンクールで2位になった曲なのである。
享保十九年(1734)大阪竹本座で竹田出雲作「蘆屋道満大内鑑」という人形浄瑠璃が初演された。これは朱雀帝の御代(930~946)、陰陽師の跡目相続争いに巻き込まれて恋人を亡くし、頭が狂ってしまった安倍保名
が狐が化けた美しい娘を恋人が戻ってきたと思い込んで妻にし子供を生ませるが、この子供が成長して安倍晴という有名な陰陽師になるという粗筋であるが、この仲の保名が狂って桜の下で、恋人の形見の振小袖を抱きしめて踊る場面を六世菊五郎が清元の所作事として完成させた。これの外題を「深山桜及兼樹振(みやまのはなとどかぬえだぶり)」という。
この安倍保名の伝説物語が、昭和26年、内田吐夢監督によって映画化され、題名は「恋や恋なすな恋」で、踊りの名手・大川橋蔵の保名、嵯峨三智子の一人三役(最初の恋人の榊の前、その妹に化けた葛の葉、葛の葉の正体狐)が主演で、これに宇佐美淳、日高澄子、月形龍之介、小沢栄太郎などが助演している。嵯峨三智子はご存じ山田五十鈴の娘。私は昭和五十年頃、銀座の「一好」という茶屋で、嵯峨三智子と彼女の親友であった「一好」のママと三人で膝つき合わせて飲んだことがある。その頃すでに彼女はアル中で苦しんでいたようだ。彼女は、昭和50年までに137本の映画に出演したが、その後はアル中と戦い、昭和63年の138本目を最後に映画界から消えた。今はもう嵯峨三智子も「一好」のママもあの世へ旅立ってしまった。