万葉のふるさと・奈良の旅 | 八海老人日記

万葉のふるさと・奈良の旅

法隆寺 (法隆寺中門前にて)


 11月5日からに白三日で万葉の故郷・奈良を旅した。一行は、写真で左から二人私と家内、その隣が大学同窓のH氏、その次が山友達のIさん、その隣が同窓のM氏、一番右が山友達で絵の巧いK氏で、以上6名。もう一人山友達のI氏が参加する予定であったが、直前になって奥様が病気で入院されたため参加できなくなり残念であった。今回の旅行計画については、M氏のお婿さんのN氏に大変お世話になった。N氏は奈良新聞社におられた方で、今は東京で観光関係の仕事をしておられ、奈良に詳しく、現地の情報を提供して頂き、ホテルの手配までして頂いた。この紙上を借り厚く御礼申し上げる。


 一日目、東海道新幹線ひかり号で新大阪まで行って、それから東海道・山陽本線、大阪環状線外回り、関西本線と乗り継ぎ、法隆寺駅の手前、王寺でJRを降りた。タクシーを拾って法隆寺南大門前の松鼓堂という茶店の前でタクシーを降り昼食。梅定食を注文したら、梅干を練りこんだ麺のかけうどんに古代米のご飯が付いて、更に自家製のひじきと漬物が付いて1200円。これがこの店の名物らしい。


 昼食後、小雨もよいの中、傘を差しながら、いよいよ、八世紀の始め藤原一族が聖徳太子一族の怨霊を封じ込めるために再建したと言う法隆寺の五重塔、金堂、講堂、大宝蔵院、夢殿など不気味な建物を見て廻り、釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊、夢違観音、百済観音、救世観音などの仏像を拝観したが、建物の内部は暗く、仏像の姿かたちははっきりと見ることが出来なかった。1000円も拝観料を取って何だと言いたい。


 法隆寺拝観を終り、午後2時半、予約していた奈良近鉄のジャンボタクシーが南大門前に到着、これに乗り込んで御殿のような天理教本部の前を通って先ず邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかといわれる黒塚古墳を訪ねたが、月曜日で資料館はお休み。そのあと箸塚古墳、崇神天皇陵、仁徳天皇陵など山之辺の道に沿って南下し、午後5時頃今日明日二日間宿泊予定の橿原ロイヤルホテルに到着、温泉風呂で旅の疲れを癒した。


 二日目、7時頃バイキングの朝食。8時ジャンボが迎えに来て出発。今日一日は飛鳥周辺をジャンボで廻る。天気予報では一日中雨と云うのでその積りいたが、殆ど傘も要らないほどで大助かり。これから訊ねる予定の万葉文化館の開館が10時からなので、その間、藤原京跡を訊ねることにした。藤原京は持統天皇が、有名な「春過ぎて夏きたるらし白たへの衣干したり天の香具山」と詠った所である。この歌は、長閑な叙景の歌とされているが、阿修羅の如く生きた持統帝がこんなのどかな歌を詠む訳がない。これは持統帝が自らの賛歌であるという説もある。この歌は、「天武朝の春も終り、大津の皇子の夏も来たが、結局白の私が天下人になった」と読むのだという。


 藤原京跡を後にし、明日香民族資料館、飛鳥資料館などをざっと覗いて、10時過ぎ、万葉文化館を訪れる。この文化館は、万葉集をテーマにした新しいミューゼアムで、N氏が手配してくれたボランティアの人が、解説付きで館の中を隈なく案内してくれた。特に印象深かったのは、この館の敷地の発掘調査で発見された飛鳥池工房遺跡で、金、銀、鉄、硝子、貨幣などがこの時代に既に此処で作られていたことを示すものである。ここを見終わってボランティアの人に丁重に礼を述べ、ここから程近い夢市茶屋という所で古代米御膳で昼食を摂る。


 三日間、我々と付き合ってくれたジャンボタクシーの運転手さんが、奈良の歴史をよく勉強していて、香具山のの東側の麓にある磐余池(いわれのいけ)の跡へ連れて行ってくれた。そこは普通の観光客が滅多に訪れない場所で、飛鳥時代ここに池があって大津皇子の屋敷があった処で、大津皇子が持統帝から死を賜った悲劇の場所である。大津皇子がそのとき涙を流しながら読んだという「ももつたう磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」という歌は、後世の作ではないかと云う説もある。蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台や酒船石、亀石、高松塚壁画館などを見学、午後5時頃ホテルへ帰る。


三日目、奈良の旅の最後の日。昨日より1時間遅く9時ホテル出発。奈良市へ向かって真直ぐ北上し、白鳳文化の面影を残す世界文化遺産・薬師寺を訪れる。奈良薬師寺の歴史は、39代天武天皇が、皇后(後の持統帝)の病気平癒祈るため発願したのが始まりであるが、686年、天武帝が没し、持統帝、文武帝が志を継いで、飛鳥の地で堂宇が完成したのは文武帝の時代になってからである。710年、都が藤原京から平城京に移ると、薬師寺も現在の場所に移されたが、1528年の兵火で殆ど焼かれ、創建当時の建物で現在残っているのは東塔(国宝)だけである。


 最後に訪れたのは、世界文化遺産・平城京跡である。南端に朱雀門が復元され、鮮やかな朱色が眼を楽しませてくれる。更に第一大極殿が目下復旧工事中で、このほか平城宮資料館、東院庭園などを見学した。防衛省の軍備予算を縮小し、官・業癒着による税金の無駄使いを止めて、世界文化遺産の復元に投じたら、どんなにか素晴らしい文化遺産が出現し、世界中から観光客がやってきて、国益に資するのではないかと思う。


 今度の旅のテーマに掲げた「万葉の故郷」は、実は「怨霊の郷」なのである。奈良は単にのどかな美しいふるさとではなく、古代の政治権力を巡る争いの中で、抹殺された多くの犠牲者たち怨霊が犇めいている郷である。

雄略天皇の歌から始まる万葉集は、編纂者である大友家持が謀反に加担した疑いを掛けられ、一度は桓武天皇により抹殺された歌集である。古今集の時代に復活された「万葉集」は、史実の告発という恐ろしい側面を秘めた歌集である。「万葉集」は史実を改竄して作られた「古事記」、「日本書紀」を補う役割を持っていることを忘れてはならない。