お祭佐七
もともとお糸、佐七の名は、古くから江戸に伝わる俗謡「本町二丁目糸屋の娘」から来ているらしい。今から300年ほど前に出された「松の落葉」という唄の本にこの唄が出ているそうだ。これが芝居に仕組まれたのは、250年ほど前の「本町糸屋娘」が始まりという。その後、浄瑠璃に取り入れられたりして、約200年前の文化7年に江戸市村座で、鶴屋南北、二代目桜田治助の合作による「心謎解色糸(こころのなぞとけていろいと)」という外題で三代目菊五郎の佐七、三代目沢村田之助の小糸で上演され、更に明治11年、三世河竹新七が脚色し直し歌舞伎座で五代目菊五郎の佐七、六代目梅幸の小糸で大当たりを取った。
梗概:意地を命の柳橋の芸者・小糸が惚れたのは、神田連雀町の鳶頭の佐七という勢い肌の江戸っ子である。佐七は、一年前の九月の神田祭の晩、万世橋の近くで、加賀藩前田家の供廻りとの喧嘩で大立ち回りを演じ、それが仇名となりお祭佐七と呼ばれるようになった。小糸が客の倉田伴平という悪侍に手籠めにされそうになり、襦袢一枚で逃げ出して来たところを佐七に助けられた。佐七は小糸に自分の羽織を着せてやり、連雀町の吾家連れて帰った。
この時以来、二人は夫婦気取りで楽しい所帯を持つようになった。小糸の養母・おてつは伴平から金を貰い小糸を騙す。小糸の父は加賀藩の侍で、佐七にとっては親の敵なのだと小糸に嘘を言う。小糸はそれを真に受けて、この先どうせ添われぬ身の上ならば佐七の手にかかって死にたいと覚悟の遺書を書き、佐七にわざと愛想尽かしをする。小糸の変心と思い込んだ佐七は恨み骨髄。小糸が四つ手籠に乗って来る所を柳原土手で待伏せし、籠から引きずり出して刺し殺す。その時懐からこぼれた佐七宛の遺書に気付き、辻行灯の光でこれを読んだ佐七は初めて小糸の本心を知って涙するが後のまつり、小糸の敵と憎い伴平を切り殺す。
歌詞は英十三の作で、「しめろやれ 恋の色糸一筋に 神田勢いの勇み肌 行く秋の虫の音細る川端に 恨みは恋の秋潮や 染めた四つ手の紅しぼり 照らす火影に読む文も 涙に滲む薄墨に 遠見の橋の影おぼろ」。この唄の作曲は草紙庵で、唄い出しの「しめろやれ」は、木遣りで佐七が鳶の者であることを現す。「しめろやれ」から「勇み肌」までは清元から節を取った。佐七を題材にした小唄は他にも幾つかあるが、私はこの唄が一番好きだ。この唄を11月の天声会で蓼胡満和さんの糸で唄わせて貰えそうなので楽しみにしている。