天皇の歌 | 八海老人日記

天皇の歌

           (香具山)


 「春過ぎて夏来るらし 白たへの衣干したり 天の香具山」(1-28)。有名な持統天皇の歌で、百人一首にも選ばれているから、知らない人もいないだろう。但し、百人一首の方は、「春過ぎて夏来にけらし白たへの 衣干すてふ 天の香具山」となっている。いずれにしても古今の名歌とされている。他にも天皇の歌は幾つかあるが、この歌ほどポピュラーな歌は無い。


 この歌の現代語訳は、「春が過ぎて夏が来たらしい。白い布でつくった衣が干してある。香具山よ」とでもいうのであろうか。この歌が作られた場所は、飛鳥から移った藤原宮と言われるが、東に一番近いのが香具山、北に耳成山、西に畝傍山、所謂大和三山に囲まれた地である。香具山は橿原市と桜井市の境にあり、高さは僅か148mの小山である。三山の中で古代から神聖な山として敬われ、天から降ってきたという伝説によって天の香具山と呼ばれる。


  大浜厳比古氏は、ある日、同じ万葉学者仲間の吉井巌から、「春が過ぎれば夏が来るに決まっているのになぜわざわざこんな持って廻った言い方をする必要があるのだ。白たへの衣とはどんな衣か。干したとは何処に干したのか。何故こんな神聖な山に、衣なぞ干すのか。」などと訊かれて答えられなかったという。


 NHKライブラリーの「万葉秀歌探訪」の著者・岡野弘彦氏は、持統天皇の「春過ぎて・・・」の歌について、この一首からは、季節の移り変りに対する日本人特有の緊張感があり、鮮やかな色彩や風光が生き生きと躍動し,清新な感動を受けると述べている。そう言われるとそんな感じがしないでもない。しかしそれは、吉井巌氏の質問に対する答えとしては、何一つなっていない。


 七世紀頃の女性天皇が、何を感じ、何を思ってこんな歌を作ったのか。一説によると、香具山の麓に昔「埴安」という池があって(今は無い)、そこで人々は禊(みそぎ)をしたであろう。そして水に濡れた白い衣を香具山の麓で干したであろう。その風景を見て天皇が感動してこの歌が作られたのではないか。初夏の緑豊かな中に、白い衣を干している風景は、確かに美しく感動的であろう。しかし天皇の歌としては、すこし安っぽ過ぎないか。又古説では、卯の花の盛りを白い衣に喩えたものと解釈しているが、これも当てにはならない。この歌は季節感の中での風景を詠んだ歌と考えた後の人には理解できない歌なのである。


 この歌は、「春夏秋冬」の四時と「天地」を詠い込んだ天皇賛歌の歌なのである。どういうことかというと、「天」は日月星辰の運行を意味し、「地」は四方の四神(東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武)が天皇を守護し、四時順行して民も潤う意味が込められているのである。即ち「天の香具山」の天は将に《天》であり、香具山は《地》である。「《春》過ぎて《夏》来たるらし 《白=秋》たへの衣干したり 天の《香具山=別名・向南山(きたやまと詠む)=北=冬」と四時も詠み込まれていると言う訳である。大浜厳比古氏は、この歌の解釈について、高松塚古墳の石室の四方の壁に描かれている壁画の研究者・渡瀬昌忠氏からのヒントに負うものであるといっている。