法隆寺・隠された十字架ー4 | 八海老人日記

法隆寺・隠された十字架ー4

           (法隆寺五重塔)


 7月22日のブログ・隠された十字架ー3で、法隆寺金堂について書いた。次は五重塔である。仏教寺院には、塔が付き物である。特に大きな寺院には、三重乃至五重の塔が建てられる。塔は、釈迦の骨を祀る所である。中国では塔の上部に骨を祀るが、日本では、塔の柱の下に穴を掘って、そこに骨を祀る。昭和24年、法隆寺五重塔の解体修理の際も、柱の下から火に焼かれた人骨が発見された。聖徳太子の子・山背大兄皇子の骨ではないかと云われたが、未だにそれは謎である。


 法隆寺は、聖徳太子及び殺された一族の鎮魂の寺とされているが、太子の一生を画いた絵巻物には、太子の子供たちが、五重塔から西方浄土に向かって飛び立って行く姿が画かれていて、この五重塔は、現身往生の塔と云われる。聖徳太子の子孫が、この世で死んでも、あの世、即ち極楽浄土で生き返ることを意味し、阿弥陀信仰に通ずるものである。


 法隆寺五重塔の一階から四階までの壁面には、細長い四角の木札が貼り付けられている。これは魔除の札と云われてきたが、このような例は他の塔にはない。これは、法隆寺の塔を建てたものが、聖徳太子一家の死霊に対し、強い恐怖を抱いていたことを示すものである。法隆寺は670年に尽く焼けて、その後再建されたが、焼ける前は、若草伽藍の中に在ったもので、そこで山背大兄皇子及びその一家二十五人が惨殺された。恐らくその塔の中は血の海であったに違いない。その跡に建てられた塔は、殺された聖徳太子一家の呪いの篭った塔であり、魔除の札が貼られた意味が理解できる。


 法隆寺五重塔には、もう一つの謎がある。それは、法隆寺の公式の財産目録である「資材帳」には、塔の高さは十六丈(約48.5m)と記されているが、実際は十丈(約33m)しかない。これは、資材帳の記録が間違っているのだろうか。いや、そんなことはあり得ない。法隆寺五重塔は、建前として、十六丈でなければならない理由があったのである。法隆寺のあらゆる建物は、死霊と怨念の篭る建物として、寸法はすべて偶数によって仕切られていた。従って塔の高さは、四(死)の二乗、即ち十六丈でなければならないのである。だが、十六丈ではあまりに高過ぎ、技術上の理由などにより、十丈となったものであろう。