法隆寺ー隠された十字架ー2
法隆寺に関する梅原猛氏の説を、その著書「隠された十字架」を読みながら追いかけて行く。先ず、法隆寺の本尊が安置されている金堂は、日本最古の木造建築として国宝に指定されているが、梅原説によるとそれは眉唾で、現存する法隆寺は、670年の火災で旧法隆寺は跡形も無く焼けてしまった後、時の権力者・藤原氏によって和銅年間(708~714)かそれ以後に再建された可能性が強いと言う。
普通本尊は一体でよい訳であるが、法隆寺金堂には三体の本尊が置かれている。向かって右から薬師如来(国宝)、釈迦如来(国宝)、阿弥陀如来(重要文化財)と並べられている。この内、阿弥陀如来は、平安時代に原物が盗まれ、鎌倉時代に擬古仏として作り直されたものである。法隆寺金堂に何故本尊が三体もあるのかというのは、一つの謎であるが、仏像の光背に記された銘文を読むと、先ず釈迦如来が聖徳太子及びその一族の鎮魂のため安置され、その後、薬師如来は用明天皇(聖徳太子の父)のため、阿弥陀如来は太子の母・間人太后
(はしひとのおおきみ)のためにつくられたとある。
法隆寺金堂とその中に安置された薬師如来と釈迦如来の仏像は、飛鳥時代の作品として何れも国宝に指定されているが、その根拠とされたのが薬師如来及び釈迦如来の光背の銘文である。ところがこの二つの銘文は何れも後世の法隆寺の僧による偽作であることが立証された。梅原氏の説は、釈迦如来は670年の法隆寺全焼の際、一緒に焼け落ち、その後、他の寺、恐らく橘寺あたりから移され、次のその様式に似せて薬師如来が作られたと考えられる。法隆寺の釈迦と薬師が全くよく似ているのは、多分そのためであろう。
梅は説によると、法隆寺の金堂は、聖徳太子一家の死霊に満ち満ちているという。そして金堂は、太子一家の死霊が極楽往生するための場所であると言う。従って金堂の主役は、阿弥陀如来でなければならない。かつて金堂内の12面の壁には、阿弥陀如来の来迎と浄土の図が描かれていたが、昭和24年に焼失してしまった。阿弥陀如来は、死霊を極楽浄土へ導く仏なのである。ここへ来て初めて法隆寺金堂の本当の本尊が阿弥陀如来であることが分かる。
梅原説は、日本のその筋によってオーソライズドされたものでなく、一つの仮説という立場に過ぎないが、説得力は極めて高い。法隆寺に限らず、日本の古代史については、敗戦後の自民党政府は、歴史の真実を明らかにすると言う国民にとって大切な事業をなおざりにしてきた。戦前は、歴史の真実を追究する学者たちは、容赦なく弾圧された。そして日本は取るべき道を誤った。政治家たるものは役人の怠慢を許してはならない。なすべきことをなさないで、空々しく「美しい日本」などと言うべきではない。