お園
2月26日の天声会の小唄会で、春日とよの名曲「お園」を唄わせて貰いたいと思って世話役に申し込んだら、もうその曲は他の人が唄うから駄目と断られてしまった。残念だが又いつか唄わせて貰えることもあるだろうと、今回は諦める事にした。この曲は、三勝半七を唄ったもので、子供の頃、父が義太夫が好きで、よくこの曲を聴かされたのと、私が小唄を習い始めて三年目の暮、名古屋へ転勤させられた時に丁度この唄を習っていて、「今頃は半七つぁん 何処でどうして霜の夜を・・・」という義太夫節に、単身赴任の寂しさを揺さぶられた想い出のある曲なのである。
この唄は、春日とよさんの一番油が乗った頃に作られた芝居小唄で、芝居は、元禄時代の三勝半七の心中事件を題材とし、1772年(安政元年)12月、大阪・豊竹座で人形浄瑠璃として上演されたもので、名題は「艶姿女舞衣」(はですがたおんなまいぎぬ)。梗概は、大和国(奈良)の五条の酒屋・茜屋の跡取り息子の半七が、お園という新妻のある身で、遊女屋に入り浸って、三勝という遊女と馴染み、それが素で他の客と喧嘩になり、挙句その客を殺してしまう。半七はお尋ねものとなり、最早是までと、三勝との間に出来た乳飲み子を茜屋の玄関先に捨て子し死出の旅に立つ。哀れなのは、処女妻のお園。そのお園の口説き「去年の秋の患いに いっそ死んでしもうたら・・・」という義太夫の節は今でも覚えている。
歌詞は、「何時しか更けて木枯しの 軒打つ音も身に迫る 置行燈の影淡き 帳場格子にしょんぼりと 鬢のほつれも涙にしめる 鴛鴦(をし)の方羽の方思い 今頃は半七つぁん 何処にどうして霜の夜を 掠めて響く鉦の音は エエ気にかかる 寒念佛」。
春日とよは明治14年うまれ。父は英国人。母は浅草芸者。とよも16歳のとき芸者となり、「混血(あいのこ)芸者」と言われ人気を集めた。文学と芸事が好きで、常磐津、清元、長唄、一中、義太夫、園八などを習得し、昭和5年、49歳で小唄界にデビュウし、それ以来半生を小唄に打ち込んだ。「お園」は、昭和18年5月(と夜62歳)の開曲で、今でも唄、三味線とも人気が高い。この唄の作詞をした人は、亀山静枝という女流作家で、とよはこの歌詞がすっかり気に入って、得意の義太夫節を取り入れて、歌舞伎舞踊小唄として作曲した。「何時しか更けて木枯しの軒打つ音も身に迫る」まで低く出て、「しょんぼりと」から「鴛鴦の方羽の方思い」はカンをきかせ、ここで合いの手に本調子の替手を入れてたっぷりと糸を聴かせる。最後は「寒念佛(かんねぶつ)」で小唄調の高上がりで終る。唄いでのある小唄である。