小唄人生 | 八海老人日記

小唄人生

 今度、江戸小唄友の会で、「留めても帰る」を唄うことになった。この唄は、明治の文豪・尾崎紅葉の作詞、二世清元梅吉の作曲である。


 歌詞は、「留めても帰る 宥めても 帰る帰るの三ひょこひょこ とんだ不首尾の裏田圃 振られついでの 夜の雨」。この唄は、明治三十年頃、当時若くして文壇の大御所になった紅葉が、友人らと一緒に、新橋の竹富久井という料亭で遊んだとき作詞し、一緒にいた二世清元梅吉がその場で作曲したという江戸小唄である。

 

 尾崎紅葉(1867~1903 慶応三年~明治三十六年)は、江戸芝中門町の生まれ、父は吉原の幇間、頭が良かったと見えて明治二十年、帝大法科に入学し、間もなく文科に転じ、在校二年で中退して文壇に入った。坪内逍遥を先輩と仰いで文学に励み、「硯友社」を興し、泉鏡花、徳田秋声、小栗風葉などの新人を同人に加えた。坪内逍遥は、紅葉らの小説を、都々逸小節などと言ってからかったが、新しい口語体の小説は、瞬く間に一世を風靡し、彼らは一躍文壇の寵児となった。明治三十年、大作「金色夜叉」を読売新聞に連載し始め、明治三十六年まで続いたが、未完の儘、惜しくも僅か37歳で胃癌のため亡くなった。


 この小唄は、紅葉がまだ駆け出しの頃、吉原へ遊びに行って、お目当ての妓に振られ、仲居がいくら留めても、どんなになだめても、すっかりお冠になって帰る帰るを連発。とうとう帰って来てしまった。途中、浅草田圃の辺りで雨にまで降られてしまった、という若い頃の想出を唄ったもの。二世梅吉の節付けも中々良く出来ており、「とんだ不首尾の裏田圃」で新内節を利かせ、江戸小唄らしい小唄になっている。


 余談であるが、来年1月17日(水)、熱海のお宮の松の前(雨天のときは起雲閣)で、「金色夜叉」寸劇や芸妓連の舞が披露される。また、2月28日(水)には、逍遥忌記念祭の催しが起雲閣で予定されている。