身辺雑記 | 八海老人日記

身辺雑記

 今朝のフジテレビ・報道2001を見て感じたこと。必修科目洩れに関する伊吹文部科学大臣の発言で、社会人として世界史や日本史を学ぶことは大切なことで、高校だけで社会人になる人も多いのだから、学校でちゃんと教えることは必要なことであると申された。

 

 それならば、日本史に関して言いたいことがある。日本史を教えることを文部科学省が学校に指導する前に、何故日本古代史の実像を隠すようなことを放って置くのかと言いたい。私が声を大にして言いたいのは、宮内庁が、日本の考古学者に対し、天皇陵の学術調査を許さないと言う現実である。飛鳥時代以前の天皇陵を学術調査すれば、日本の古代史の記述が変わるかもしれないというのに、これは何ということかと思う。これは、私が言っているのではなく、れっきとした考古学者が言っていることなのだ。外国にこんな例はない。


 人は、世界の歴史や自分の国の歴史を学んで始めて自己というものを知る。そこから個人の自我というものが確立される。個人が責任を持って行動が出来るのは、自我の確立があるからである。民主主義も自由主義も自己の確立があって成り立つ。それなのに日本人は真実の歴史から目隠しされているのだ。宮内庁にこんな暴挙をゆるしておいて、何が日本史の学習指導か。こんなことを野放しにしておくマスコミもおかしい。高松塚古墳の壁画に黴が出たと言って大騒ぎするくせに、こんな大事なことに眼をつぶっているとは。天皇陵の学術調査を宮内庁が許さないのは、どうしても隠したい事情があるのだと疑いたくなる。