阿部謹也の世界 | 八海老人日記

阿部謹也の世界

kankianさんに唆され、阿部謹也氏の著作の一つ、「日本人はいかに生きるべきか」についてブログする羽目になった。急逝された阿部さんが、沢山の著書を残しておられることをネットで調べて知った。そして阿部さんが、私が私淑して已まない元一橋学長・上原専禄教授の弟子であったことを、私としたことが、迂闊にも今まで知らなかった。


 昭和17年、太平洋戦争酣の頃、学徒の徴兵猶予も停止され、我々が戦場に駆り出される日も近いという時、経済原論の講義を担当されたのが上原教授であった。教授は、経済原論の講義をそっちのけにして、最初から最後まで、仏教の源流となった紀元前五千年の古代インド哲学の講義で終始した。戦争に行けば戦死するかもしれない我々にとって、どれだけこの講義が、精神的支えになったことか。般若心経の出現よりも数千年も前に、その母体となる思想が在ったことを教えられた。そしてそこから、東洋の思想が始まり、更にそれは、インドを境目として西へ伝播したものはヨーロッパ思想の母体となり、東へ伝わったものは東洋思想や仏教の源となった。地球上に生きてきた人類の知恵の流れの壮大なロマンを見る思いであった。やがて戦地へ赴く我々は、「朝(あした)に道を聴けば、夕べに死すとも可」という心境に近かった。我々は天皇のために死にに行くのではない。戦っている同胞を見過ごすことが出来ないから、一緒に戦うために戦場に行くのだという気持ちであった。

 

 阿部さんによると、12世紀頃まで、西洋でも日本でも、人は集団で生活し、個人というものは無かったと言う。集団には首長がいて、掟によって集団を拘束し、耕作や使役や軍事に徴発し、掟に違反すれば殺した。個人の意識が生まれたのは比較的新しいことで、個人とは、自己の内面、内なる世界を意識する人を言う。外の大宇宙(マクロコスモス)に対し、内なる世界を小宇宙(ミクロコスモス)という。ヘルマン・ヘッセは、ミクロコスモスに目覚める若者・デミアンを書いた。


 阿部さんは言う。個人が生きる道を求めるには、先ず己を知らなければならない。そして己を知るためには、日本のみならず世界の歴史を学ぶことが重要だ。人が歴史を学ぶのは、単に過去に起きた事実を知識として知ることではなく、自分が今生きている世界が、どういう道を辿って過去から現在に至っているかを知ることが重要なのだという。そして人は過去を知ることによって、個人としての現在の自分が見えてくるのだという。


 日本に個人と言う言葉が生まれたのは明治17年であるという。多分、福沢諭吉あたりが発明した言葉であろう。明治政府は、欧米の列強に対抗するため、富国強兵を図らなければならないとし、そのためには欧米的個人主義意識を培い、その上、自由主義、民主主義の思想を導入し、議会制度の創立、憲法の制定など、欧米的文明開化を実現することを国策とした。政府の指導者たちは、日清、日露の戦いに勝利したことで国力を過信し、昭和の代になって欧米と戦うことになり国の行く末を誤った。


 江戸時代までの日本の町人には、世間ということが大切なことであった。そして生きてゆくためには、世間というものがどうゆうものかという知識が必要で、武士など特別な階級以外は、グローバルな教養と言ったものは必ずしも必要でなかった。世間様に顔向けできないようなことはするなということさえ守っていれば、お天道様はついてきてくれた。この世間の中で生きてゆくシステムを、阿部さんは、歴史的、伝統的システムと呼ぶ。そして現代の日本人として生きるためには、もう一つのシステムが必要であると指摘する。それは、革新的近代化システムである。


 世間という言葉で現わされる歴史的、伝統的システムは、人間の感情とか義理人情とか、言わば非合理的な人間関係を基礎とする文化で、江戸時代を通じてそれ程変らなかった。それに対して、革新的近代化システムは、明治以降大きな変革を遂げ、今でも刻々変わりつつある。産業、企業、マーケット、金融制度、社会保障、行政、公共施設、医療、通信、交通など、その他あらゆるシステムがこれに含まれる。これらは全て合理的で、文字や数字の情報で記録したり検証することが可能なシステムである。


 過去において我々は、万世一系の皇運を扶翼するため洗脳され、戦場に駆り出された。そこには個人の存在は無かった。今又日本の政治の指導者たちは、愛国心で国民を洗脳しようとしている。阿部謹也さんが、我々にアドバイスしようとしていることは、世界の歴史を学ぶことによって、自己に目覚め、自己を知り、世間というものの中で長い間に培われてきた歴史的、伝統的システムと、激しく変化する近代化システムとの調和を図りながら生きてゆくのが我々のいきかたであると言っているようだ。