身辺雑記 | 八海老人日記

身辺雑記

 9月4日、元一橋大学長・阿部謹也さんが急性心不全のため、新宿の病院で亡くなられた。71歳であった。私と阿部さんとの出会いは、たった一回きりであるが、平成6年、阿部さんが一橋大学長の頃、同窓会代表幹事の中北治郎君と一緒に、阿部学長に会いに行ったことがあった。用件は卒後五十年の記念文集の贈呈と、記念総会開催のため相模湖の艇庫使用を許可してもらったのでそのお礼を云うためであったと記憶している。その時の感じは、学者ぶらない気さくな人という印象であった。


 昨年、NHKテレビの朝ドラの後に、「心の旅」という番組があって、色んな分野の人が、世界中を旅する中で、心に思い出す旅をテレビカメラが後を追いかけて、それをテレビで見せてくれるのであるが、その中にある日、偶然阿部さんが出てきたので驚いた。その番組は10年ほど前に一回放映したのを再放映したもので、ドイツで思い出の旅をする60歳そこそこの阿部さんが映しだされていた。今から40年も前、ドイツのある町で二年間、ドイツ語の古文書と格闘していた阿部さんに、一家で親切にしてくれた下宿の家族を訪問されたのだった。阿部さんが、ほのかな思いを抱いたかつてのメッチェンが、今はいいおばさんになっていた。私は、阿部さんが、日本よりも外国で名の知られたヨーロッパ中世史の権威であることを知らなかったのである。阿部さんの論文の殆どが英語、ドイツ語、フランス語で書かれており、13世紀頃の古いドイツ語の文献を読みこなせる人はドイツ人でも少ないという。


 ドイツから帰国後発表された「ハーメルンの笛吹き男」に関する論文は、一躍大反響を呼び起こした。13世紀の中部ドイツのハーメルンという町で、130人もの子供たちが、或る日忽然と消えてしまった。これは実際に起きたことで、その日付も1284年6月26日と確定している。この事件を文献などで色々調べてゆくと、中世のドイツの町に住む人々の生活の有様が見えてくる。それを歴史学的に論証した訳であるが、「ハーメルンの笛吹き男」の話は、19世紀になって、一つの民話としてグリムの童話集に収録された。


 阿部さんは、晩年数多くの著書を残されている。どれもこれも読みたいが、その内の幾つかを読んで、次の機会にブログで紹介することにしよう。差し当たり次に読もうと思う本のテーマは、「日本人は如何に生きるべきか」。さて何時になるやら???