小唄人生 | 八海老人日記

小唄人生

 11月18日(土)に東京証券会館ホールで催される蓼競文師匠主催「第七回競文会で、「宵宮」と「こうもりが」の二曲を唄わせて頂ける事になった。


 「宵宮」は田中宏明作詞、中山小十郎作曲で、昭和36年、市丸さんによりの開曲。歌詞は「オーエンヤリョー 木遣りゃ纏の家の株 江戸を守りの一筋に 命を掛ける勢い肌 その人柄に打ち込んで 仇な柔肌首抜きの 団扇使いもなまめかし 色で逢いしも昨日今日 踊り屋台は明日のこと 闇に溶け行く肩と肩 祭り囃子が追い掛ける」で、八月十五日の深川八幡宮の宵宮の情景を唄ったと言われている。


 「宵宮」の曲は、賑やかな祭り囃子を前弾きと後弾きに使い、唄は、前半、木遣りを唄う威勢のいい色男と、その男に惚れ込んだなまめかしく情の深い女の取り合わせと、後半、「色で逢いしも昨日今日」と、清元調のくどきの一節が聞かせ処。最後は、肩と肩を寄せ合って、闇の中へ消えてゆくカップル。それを祭り囃子が追いかけるという、作詞と節付けがぴったり合った佳曲である。


 「こうもりが」は、江戸時代、文政12年(1829)、七代目団十郎が浪速で芝居をやった時、大阪人が熱狂大歓迎して、何時までも江戸へは帰さないと言う文句の端唄が流行った。歌詞は、「蝙蝠が出て北浜の夕涼み 川風さっと福牡丹 荒い仕掛けの色男 往なさぬ往なさぬ何時までも 浪速に水に写す姿絵」。「蝙蝠」と「福牡丹」は市川家の替紋。「荒い仕掛け」団十郎の十八番の荒事に掛けた。江戸から来た団十郎が或る日、涼み船を一艘借り切ってご贔屓を招待し、船上で茶を振舞ったのが評判になった。この曲は、一時消滅したのを、明治になって、初代清元菊寿太夫が改めて作曲したという。


 なお、七月の室町小唄会で、「こうもりが」を唄われた上村幸以先生から伺ったことは、この唄を唄うときの注意事項として、最後の「姿絵」を「すがたエー」と伸ばして唄ってはいけない。これは、水に写した団十郎の「姿絵」のことだから「すがたえ」と短く唄わなければいけないとのことであった。