万葉の世界 | 八海老人日記

万葉の世界

 万葉集は、人麻呂を措いては語ることが出来ないが、人麻呂に入る前に、人麻呂の歌人としての才を見抜き、彼を宮廷歌人として抜擢した持統天皇(女帝)について、若干触れて置きたい。


 彼女は天智天皇の第二皇女(645-702)。母は、蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘(おちのいらつめ)、又の名を讃良皇女(さららのひめみこ)と言い、同母姉に大田皇女(大津皇子の母)がいる。共に叔父・大海人皇子(後の天武帝)の妃となったが、大田皇女は大津皇子を生んで早逝し、讃良皇女は大海人との間に草壁皇子をもうける。大海人がライバルの大友皇子を倒して皇位を継ぎ天武帝となるや、讃良皇女は天武の皇后となり、更に天武の没後、第四十代・持統天皇となる。


 彼女は非凡な女性で、病気勝ちの天武帝を助け、壬申の乱後の天武朝の安定と王権拡張に貢献した。しかし天武の後継者を選ぶに当たり、大きな間違いを犯した。早く母を亡くした大津皇子が文武に優れ、人望も厚かったのに嫉妬し、自分の腹を痛めた出来の悪い息子・草壁皇子を盲愛するあまり、甥の大津皇子に謀反の罪を着せて殺してしまったことである。


 最もフェアーでなければならない政に私情を差し挟んだという汚点は残したが、作歌の天分には恵まれていたようだ。万葉集01/0028の「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」は、百人一首にも選ばれて有名である。この歌が詠まれた場所は、飛鳥から移った藤原京で香具山に近く、その麓に埴安の池があって、そこで禊をした人が干す真っ白な衣が目に入り、もう夏が来たようだという生き生きとした描写を詠っている。


 皇統を選ぶに私情を以ってするという過ちを犯した持統女帝であるが、人を愛することにおける女の素顔を覗かせているのが、天武が亡くなった時に作ったという次の長歌である。「やすみしし わご大王の 夕されば 見(め)し給うらし 明けくれば 問い給うらし 神岳(かむおか)の 山のもみじを 今日もかも 問い給わまし 明日もかも 見し給わまし その山を振りさけ見つつ 夕されば あやに悲しび 明けくれば うらさび暮らし あらたへの 衣の袖は 乾(ふ)る時もなし」。