小唄人生 | 八海老人日記

小唄人生

 9月30日(土)、南青山会館で催される蓼胡満和師匠の玉和会・秋の会で、英十三作詞、吉田草紙庵作曲の「行く雁に(毛剃)」を唄わせて貰えることになった。この小唄は芝居小唄であるが、民謡の正調博多節がアンコで入っていて、小唄をやる人は、一度は歌いたがる曲である。


 芝居は、近松門左衛門原作、人形浄瑠璃「博多小女郎波枕」で、享保三年(1718)十一月、大阪竹本座初演。歌舞伎に取り入れられたのは天保五年(1834)正月、七代目団十郎が毛剃九右衛門を演じて大当たりを取った。


 毛剃九右衛門は、下関を根城に密貿易を働く海族の頭である。京都の商人・小松屋宗七が博多行きの便船と間違えて毛剃の海賊船に乗り、密貿易の現場を見たのを知られて海へ投げ込まれた。運よく通りかかった船に助けられ、命からがら、馴染の女・小女郎がいる花街・柳町の奥田屋に辿り着く。そこで毛剃と鉢合わせ。毛剃も同じ小女郎の客で、小女郎を身請けするといい、宗七はそうはさせないという。とどのつまり、宗七が毛剃から金を貰って海賊の一味となり、小女郎を身請けして有頂天になるが、結局役人に捕まって終わりというのが芝居の粗筋。


 小唄は、海賊船のみよしに仁王立ちの毛剃が大鉞を振り上げて、海に投げ込んだ宗七の行方を睨んで大見得を切るところで、背景には八月十五日の満月が浩々と照っている場面を唄ったもので、歌詞は「行く雁に 文ことづけん 文字が関 恋には細る柳町 逢うてどうして宗七が 身の仇波と白波の 人の定めの浮き沈み みよしにかざす鉞の 毛剃の見得や今日の月」。


 歌詞の意味は次の通り。「行く雁に 文ことづけん」は中国の故事。「文字が関」は今でいう関門海峡。「恋には細る柳町」は、恋に身も細る宗七の姿を柳に掛けた。「逢うてどうして宗七が」はどうしてそうしての語呂合わせ。「身の仇波と白波の」は、宗七が自分の身の仇になるのを知らないという事。以下は読んで字の如し。


 「草紙庵小唄の解説」という鳳山社の本に英十三氏が、この小唄の唄い方について書いている。「行く雁に 文言付けん文字が関」は、波立つ海峡を雁が渡って行く心持。「恋には細る柳町」は、小女郎への恋に身も細る宗七の心持。「逢うてどうして宗七が」は、正調博多節への導入部。「身の仇波と白波の 人の定めの浮き沈み」は正調博多節でたっぷりと聞かせどころ。「みよしにかざすまさかり」以下は、毛剃が大見得を切る所で、ドレマチックに唄って終わる。最後に派手な送り(後弾き)が四十小節も続いて、三味線の聞かせどころ。こんな名曲中の名曲を唄わせて貰えるなんて、小唄冥利に尽きるというもの。