日本古代史 | 八海老人日記

日本古代史

世界的アイヌ語学者として知られ、1971年(昭和46年)89歳で亡くなられた日本語学者の第一人者、文学博士・金田一京助氏(金田一春彦氏の父君)は、今から64年前の昭和17年に「国語の変遷」(ラジオ新書)を刊行された。私が、個人的興味から日本古代史を齧り始め、「日本語の始まり」というテーマについて、著名な言語学者・大野 晋(おおのすすむ)氏の、最近の比較言語学に基づく「日本語の起源」(岩波新書)を読んで、日本語の起源を南インドのタミル語(アルタイ語系)とする説を、7月21日のブログ紹介したが、驚いたことに、同じような結論を、今から64年も前に、金田一博士が述べておられるのである。


 今から約一千三百年前、奈良時代には、日本語は話されていたが、日本語を現す字はまだ無かった。日本語そのものは、恐らく縄文時代か或いはもっと前に、日本列島がまだ大陸と陸続きであった頃からの、アイヌの先祖などの先住民族を北方へ追い払って侵入してきた南方系の部族が、稲作文化と共に持ってきたのが、原始日本語ではなかったかと思う。始めはタミル語であったかも知れないが、モンゴル、満州などを経由した長い間に語法は残っても、単語はすべて違ったものになっていたと思われる。原始日本語は、恐らく先住民族のアイヌ語や、関係の深かった朝鮮語なども、一部取り入れたりしたものもあったに違いない。アスカ、ナラ、コソ、ハタ、クレ、アヤなどは朝鮮語だと言われ、東北、北海道によくあるナイ、ベツは、沢、川を意味するアイヌ語であると言われる。


 6世紀頃までには、儒教や仏教などはじめ中国の文化がどんどん入ってくる。そして日本のインテリの間では、漢字や漢文を使うことが普及し始め、漢字を用いて日本語を現すようになり、平安時代になると片仮名平仮名が一般的になり、漢字の多くが日本語の中に同化された。今までの日本語に無かった檀那など、濁音で始まる言葉や来世、利益(りやく)などラリルレロで始まる言葉が出現し、日本語の語彙が豊になった。その挙句、万葉集が万葉仮名で記録され、古事記や日本書紀が文字で記述され、日本文化の大きな遺産となった。