小唄人生 | 八海老人日記

小唄人生

 8月10日午後5時よりという第14回室町小唄会のご案内が往復はがきで来た。早速返信はがきの出席に丸を付けて、演目候補に「大井川」「与三郎」「湯上りに」「ひょんなことから」と四つ書いて出した。糸方の飯島ひろ菊さんと相談して、この中から出し物を決めていただくことになる。従ってどれが選ばれるか、連絡があるまで判らない。この中の「大井川」については、芝居は観たことはないが、小中学生の頃、父がレコードが好きで、浪花節、長唄、義太夫、流行歌など集めた中に「朝顔日記」の義太夫が入っていたので、浄瑠璃としては耳慣れしている記憶がある。


 例によって、木村菊太郎氏の「芝居小唄」を開いてみた。名題「生写朝顔話」(しょううつしあさがおにっき)という時代世話物。芸州岩戸藩家老の一人娘・深雪は、乳母と宇治の蛍狩りに行き、一人の若侍に出会って恋に落ちる。若侍の名は、宮城野阿曽次郎、九州大内家の家臣で、学問修行のため京へ来ている。阿曽次郎は、金地に朝顔の絵を描いた扇子に自分の想いを和歌で書いて深雪に与える。それから三ヵ月後、深雪は、父と共に国許へ帰らなければならなくなり、泣く泣く阿曽次郎と別れる。


 阿曽次郎を慕う深雪は、父の奨める大内家の侍・駒沢次郎左衛門との縁談を嫌って家出をする。ところがこの駒沢こそ、叔父の養子となって駒沢家の家督を継ぎ、改名をした阿曽次郎その人だったのである。その事情を知らない深雪の悲劇であった。知らぬ土地を彷徨う深雪は、苦労のため失明する。阿曽次郎は、東海道・三島の宿で、失明の門付けに出会い、それが深雪だと気付く。しかし大切な公務中のため名乗ることが出来ず、朝顔の歌と本名を記した扇に、眼病の霊薬を添え、これを宿の亭主に託して立ち去る。


 後で阿曽次郎と知った深雪は、必死で追いかけるが、生憎の長雨による川止めのため、大井川が渡れない。二度と会えないと川に身を投げて死のうとするのを忠僕・関助に止められ、宿の亭主(旧家臣)の手厚い看護と阿曽次郎が残していった霊薬が効いて眼も見えるようになる。阿曽次郎とも再会し結ばれハッピイエンド。多くの悲劇を生んだ東海道・大井川の川止めは雨で75㎝以上の水嵩になると渡ることが禁止された。一月近くも止められることがあった。当時の川柳に「きつい時化 島田金谷は 人だらけ」。


 小唄は、安間愛二郎と言う人の作詞で、「思うこと儘ならぬこそ浮世は闇か 一とせ宇治の蛍狩りに 焦がれ初めたるその人に 現在あいはあいながら 知るに由無き目無し鳥 エーエ天道様 聞こえませぬわいな 情け嵐と降る雨に 隔てられたる大井川 恋も命も哀れ川留め」。これを葵 寿と代という人が曲付けしたのを、竹苑せき家元が唄っているテープがある。作曲もいゝし唄も素晴らしい。然しこの唄は、木村菊太郎氏の「芝居小唄」にも「昭和小唄」にも載っていない。小唄大全の「千草」に歌詞が載っているだけ。こんないい唄はもっと唄われてもいいのではないかと思う。