小唄人生 | 八海老人日記

小唄人生

小野金次郎の作詞、中山小十郎作曲の歌舞伎小唄・曽根崎心中を、今年十月、三越劇場での夜雨会で唄わせて貰えることになった。この小唄は、近松門左衛門の心中世話物の最初の作、元禄十六年(1703年)五月、大阪竹本座で初演された人形浄瑠璃「曽根崎心中」を題材としたものである。この芝居は、久しく上演されなかったが、昭和二十八年八月、新橋演舞場で、二世・中村雁冶郎の徳兵衛、扇雀のお初という父子の顔ぶれで上演、大当たりを取った。


 芝居は、大阪の醤油問屋・平野屋の手代、徳兵衛と、北の新地の天満屋の遊女・お初の心中物語で、徳兵衛は二十五、お初は十九の共に厄年であったという。七つの刻の鐘(朝四時)を聞き終わったら心中しようと誓い合い、六つまで聞いて、残る一つが今生の聞き納めと、曽根崎天神の暗い森へ急ぐ道行きの情景を唄ったもの。


 多くの小唄の作詞を手がけ、作詞家として定評のある小野金次郎の曽根崎の作詞は、「曽根崎や 七つの鐘を六つ聞いて 茜に染むる比翼紋 浮名をお初徳兵衛が 心中沙汰と謳わせて 一足づつに消えてゆく 暁近き霜の身の果」というもので、流れるような美しい詞で綴られている。(比翼紋:恋人同士の紋を合わせて一つの紋にしたもの。当時これが流行った。)


 曽根崎心中の小唄は、幾つかある中で代表的なものは二つ。一つは上方で作られた平井承知庵作詞作曲の「この世の名残 夜の名残・・・」、もう一つは上に掲げた小野金次郎作詞、中山小十郎作曲のものである。筆者は、平井承知庵のものは聞いた事が無いが、小唄習い始めの頃、今は亡き蓼胡満喜師匠が唄って、当時のベストセラーになった中山小十郎の曽根崎は、三味線の節付が素晴らしく、耳に蛸が出来るほど聞いた記憶がある。今度三越劇場の大舞台でこの唄を唄わせて貰えるとは、小唄冥利に尽きることと言わねばなるまい。