小唄人生
6月21日のブログに、「文化人・渋沢秀雄氏と小唄」という記事を書いたら、例の山友達のO氏から、渋沢秀雄氏関係の資料がもう一山あるからと、第2弾を送ってきた。早速開けてみたら色々出てきた。
①「渋沢秀雄先生 御前に」という墨痕も鮮やか達筆の手紙で、差出人は、文化放送小唄伺ったものとだけで名前がない。渋沢秀雄氏は、昭和30年頃から、文化放送のラジオ番組の「小唄徒然草」の司会を勤めた。その頃その放送を聞いた人からのお礼の手紙であった。難しい変体仮名を苦労して読んでみると、差出人は、初代吉村ゆう家元(昭和9年、67歳で没)の元お弟子さんだった方で、渋沢秀雄氏のラジオ番組で吉村ゆうさんの話をしているのを聞いて、家元没後23年になるというので昔を思い出して手紙を認めたようである。
初代吉村ゆうという家元は、江戸小唄の元祖・清元お葉さんの小唄を引き継いだ横山サキという師匠から小唄を習い、大正11年に吉村流家元になった人で、人の話によると、こんな小唄の上手い人はないという。手紙の主も、小唄「初出見よとて」を例にとって、ゆうさんの上手さを生き生きと描写している。先ず唄い出しの「初出見よとて」から違う。「頭取の伊達姿」というと、貫禄ある頭取の皮羽織が目に浮かんでくる。「粋なポンプ組」というと、粋のいい若者が見えてくる。「ヅンと立ったる梯子乗り」というと、梯子が天までとどくような勢いだ。「腹亀じゃ」というと梯子の上で腹を下にして、「ぶらぶらと谷覗き」というと下から女が見上げているのがただのぶらぶらじゃないんだって、アハハハ、って大笑いしたという話が面白かった。
②昭和43年9月、三越劇場で催された明治100年記念、第20回三越邦楽会のプログラムで、筝曲、謡曲、新内、哥沢、義太夫、清元、長唄、一中節など色々あり、勿論小唄もある。小唄は、伊東深水氏、中田末男氏などに混じって、細川隆元氏が渋沢秀雄氏の糸で「葉桜」、「またの御見」を唄っている。
③春日とよ栄文(渋沢夫人)師匠が三味線を弾いている舞台写真で、唄っている人はどなたか分からないが、唄は「お蝶夫人」、「のびあがり」。唄っている人は、若しかしたら、春日とよ栄師匠かもしれない。写真の送り主がとよ栄師匠だから。
④小唄とは関係ないが、昭和36年5月、「新派新作公演」のプロ。という随筆を載せている。花柳章太郎、大矢市次郎、伊志井寛などの若々しい写真が懐かしい。
⑤昭和36年12月、新橋演舞場で催された「新国劇公演」のプロ。これに渋沢秀雄氏が「芝居歳時記・12月」という随筆を掲載している。辰巳柳太郎、島田正吾などがまだ青年の顔で載っている。
⑥その他、芸能関係者からの手紙が約20通ばかりあるが、長くなるので割愛する。なお、O氏の手許には渋沢秀雄氏の戦後約30年間の日記ノートが残されている。これの扱いは私には荷が重過ぎるから暫らくO氏の許で眠っていてもらうことになる。i