日本古代史 | 八海老人日記

日本古代史

 日本古代の神社と神道について考えて見たい。インターネットで調べると、神道とは日本人の民族宗教とあるだけで、経典も無ければ教祖もいない。梅原猛の説によれば、古代日本人にとって、神は、山、川、太陽、風、雷などの自然現象から、農耕、漁業、精錬、製織、酒造などの営みや、部族の先祖、偉人などの霊魂など、何でも人間の力を超えたものが総て神であり、それらの神々は、怨霊となって屡々人に害を及ぼす。そのため、供物を捧げ、祭りの儀式をして鎮めないと、崇りが恐ろしい。


 古代日本人は、神の怨霊を鎮めるため、仏教寺院を見習い、立派な社を作って神を祀った。これが神社である。神社には巫女が奉仕し、儀式を司った。古代日本人は、怨霊の崇りを最も恐れた。天災の時など、屡々生きた人間が人身御供にされた。雷が鳴ると、天神の崇りだと怖がり、「桑原々々」と言って他所へ行くよう祈った。天神は、讒言で大宰府に流された菅原道真が祀られていて、「桑原」というのは道真の知行地で、そこだけは雷が落ちなかったという。


 東京・大手町の元大蔵省の跡地に「将門塚」というのがある。1060年ほど前の平将門の首塚である。これを動かすと崇りがあると言い伝えられており、どんな区画整理があっても、頑として動かない。古代日本人の信仰が現代に生きている証拠。怨霊鎮魂の思想が、古代から現代に至るまで、日本文化の歴史にどれほど多くの影響を与えてきたことだろうか。例えば、能楽などは、神に奉納する猿楽から始まっている。


 神社にお参りするのは、本来、怨霊の崇りを鎮め、それから逃れようとする儀式である。儀式は先ず供物を捧げる。今は供物の代わりにお賽銭を上げる。それから榊の枝に御幣を付けたものを捧げる。これを玉串という。玉串は怨霊の怒りを和らげる意味を持つ。小泉首相の靖国参りは、「国のため命を捧げた者たちの霊を悼み、不戦の誓いをするためで、他人に兎や角いわれることはない」、と言うのはとんだお門違い。靖国に祀ってあるのは、万世一系の天皇家の弥栄(いやさか)を信じて命を捨てた怨霊たちで、不戦の誓いなどと言ったらどんな崇りがあるか知れない。そっとして置くに限る。心の問題だと言うなら靖国へ行かなくても、どこで祈ってもいい理屈。