小唄人生 | 八海老人日記

小唄人生

 日本橋室町に「室町小唄会」という小さな小唄の会がある。この会のことは、2月10日のブログに書いたから繰り返さないが、小唄界の大御所・上村幸以氏を囲む小唄の会である。日本橋の昭和通に近い「好秀」という小料理屋さんに、毎月十人前後の小唄好きが集まって小唄の会を催している。糸方は、春日とよ津多師匠とこの店のご主人・蓼好秀さん。集まった客を籤引で順番を決め、柳田満之さんという方の司会で二巡、二、三曲をご披露する。その間適当にご馳走を突きながら飲むという誠にいい気分の会である。


 私はこの次の6月8日の会に出席を申し込んであるが、お店が狭いので、先着11名で締め切りとなるから出席出来るかどうかまだ分からない。その時唄う予定の曲は、浦上紀庵作、草紙庵曲の「網島心中」と江戸小唄の「逢うは別れ」。「網島心中は」、近松門左衛門作・「心中天の網島」から取ったもので紙屋治兵衛と遊女・小春の心中もの。この芝居は、初代・雁冶郎のすべてを代表する傑作であると言われる。この芝居を題材にした小唄は他にもあり、中でも小春が治兵衛の女房・おさんからの手紙で、冶兵衛と切れる決心をする場面を唄った「河庄」(豊竹厳太夫曲)が有名である。


 草紙庵の曲は、網島心中の最後の場面で、小春と冶兵衛が網島の大長寺というお寺を死に場所と決め、十月の十六夜の暁の鐘を聴きながら手に手を取って儚い霜の様に死ぬところである。時に小春は十九、冶兵衛は二十八であったという。この唄は、派手な唄い方でなく、如何に物寂しく、悲壮感を漂わせて唄うかが聞かせどころである。唄い手の表現力が問われる難しい唄である。


 もう一つの「逢うは別れ」は、明治中期、友人の洋行の送別会のために永井素岳が作詞し三世清元斉兵衛が作曲した江戸小唄で、送別の唄とも思えない何とも言えない色気がこの小唄の身上である。果たしてうまくうたえるかな???