青空の会 | 八海老人日記

青空の会

 4月6日(木)、晴天に恵まれ、JR京浜東北線王子駅中央口集合。総勢約120名。飛鳥山公園から歩き始める。8割が熟年女性。厄介なものぐさ亭主は家で留守番。江戸時代から明治に掛けて桜の名所と言えば、一に上野、二が飛鳥山、三に向島と相場が決まっていた。小金井と御殿山がこれに次ぐ。それなのに青空の会の世話役の人は、東京の桜の名所は、上野、千鳥が縁、飛鳥山とおっしゃったが、千鳥が縁は、後から出来た名所である。


 飛鳥山の由来は、鎌倉時代の末期、この辺の土地の支配者であった豊島氏が紀州熊野から飛鳥明神と若一王子社を遷したことから始まったと言う。江戸幕府八代将軍吉宗が、鷹狩りの場所だった飛鳥山に1270本の桜を植えさせて庶民に開放したことから桜の名所となった。古典小唄で賑やかな替手が入った名曲「仇な世界に仇くらべ 浮かれて遊ぶ飛鳥山 鐘は上野か浅草か 霞と雲につつまれて 傘へ散らすな花の真っ盛り」に唄われたように、霞か雲かと見まごうほど爛漫と咲き誇る桜の下で、重箱のご馳走をつつき、酒を飲みながら、上野や浅草の夕べの鐘が鳴るまで遊び呆けた花見の宴。昔は花見が江戸庶民の最大の娯楽であった。今の飛鳥山は訪れる人も少ない。


   旧古河庭園の土地は、明治の元勲・陸奥宗光の別邸のあった処であるが、この屋敷(現存せず)は宗光の次男が古河財閥の養子になったため古河氏の所有となった。現在の洋館は、大正の初め、英国人建築家・コンドル(鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸などの設計者)の設計になるもので、平成18年1月26日、国の名勝に指定された。私達が訪れた時は、まだ桜が真っ盛りであった。今日の青空の会はここで解散、ここからJR山手線駒込駅まで歩き、電車で荻窪まで帰った。