日本の
ひと頃、グローバリゼーションという言葉が流行った。経済や文化などの人間の営みが国境を越えて、地球規模に広がって行く現象である。スポーツの世界では、昔からグローバリゼーションが盛んで、スキー、スケート、マラソン、サッカー、フットボ-ル、ラグビー、野球など、殆どのスポーツが各国に広がり、オリンピックや世界大会などで力と技を競い合い、各国がそれぞれ良い意味でのナショナリズムを発揮している。
これに対し、軍事、政治、経済などのナショナリズムは厄介である。こういったナショナリズムは、一国の指導者たちの政策によって変わり易いが、これには、屡々、宗教やイデオロギイや生活様式などの転倒的ナショナリズムが絡む場合が多く、国家間の激しい衝突を引き起こす。米国資本主義とイスラム原理主義の衝突は、イラク戦争に発展し、未だに終息の目途が立たない。この二つのナショナリズムの対立は、米国資本主義の価値観が、市場における自由主義と資本による利潤の収奪にあり、イスラム原理主義のそれは、富の配分による弱者救済にあるので、強大な軍事力を背景にした米国資本主義にイスラム原理主義が飲み込まれてしまう危機感に力で抵抗しているのである。
日本では安政5年、開国時に欧米列強から押し付けられた不平等条約を是正するため明治政府は、①急速な西洋化、②天皇中心の政治体制の確立により近代国家としての体制を整えると同時に軍備の拡充を図った。①に対しては、視察団の派遣、太陽暦の採用、鉄道敷設、学校制度、鹿鳴館など、②に対しては、万世一系の天皇、国家神道、憲法及び帝国議会、天皇への「忠」を最高とする国家道徳思想などを創設した。靖国神社は、国家神道と共に、このときの産物である。
こうして日本は、近代国家として不平等条約の是正に成功し、更に日清・日露の戦争に勝利して、世界列強の仲間入りを果たすこととなった。ここまでは良かったのであるが、日本はこのあと、誤ったナショナリズムに走り、遂に自らを滅ぼすに至るのである。(次回に続く)