埋もれたプロジェクトX | 八海老人日記

埋もれたプロジェクトX

 毎週火曜日夜9時15分からNHKテレビの人気番組「プロジェクトX」が始まる。私は、敗戦後日本の高度成長を支えたものが、草の根のベンチャービジネスであったり、何処にでもいる市民や個人の力に負うところが大であったという物語を聞くのが好きで、大抵逃さず見ている。そして戦争には負けたが、日本人の活力は、まだまだ捨てたものではないと思う。だが、こうやって映像化されるノンフィクション物語以外にも、明るみに出されないで埋もれてしまう「プロジェクトX」も数限りなくあるのではないかと考えた。現に、私の身近にも、苛酷なシベリヤ抑留から1500人の捕虜を、病気などで死んだ10人を除き、一人残らず日本につれて帰るという大偉業を成し遂げた人・織(仮名)さんがいる。織さんは、私の会社生活の大半を上司として仕えた人で、私が入社した時は、既に職場から陸軍に召集され、幹部候補生を経て機械化砲兵隊の将校となり、ソ満国境の守りについていた。そして1945年8月、日本はボツダム宣言受諾ー敗戦となった。織中尉の属する機械化砲兵梯団1500名は、敗戦と同時に武装解除されソ連軍の捕虜となった。その年の暮れ、全員貨物列車に乗せられ、西へ西へと運ばれた。クゼノオーゼル(鴨の湖)という湖畔の炭鉱町へ連れて行かれた。1500人を収容する半土中埋没型バラックが建てられていた。悄然と肩を落として歩む集団は、早くも捕虜になり切っていた。本職の将校達は、敗戦のショックで魂が抜けてしまったようで、まるで役に立たなかった。そこで織中尉が中心になって立ち上がり、数名の幹部候補生出身の将校達を集めて指揮班を組織し、日本人捕虜たちを束ねることとなった。織中尉はみんなの前で、俺は、命がけでみんなを守るから、お前達も頑張ってくれ。そして一人残らず故国の土を踏もうと誓い合った。それからの織中尉は、偶々道で拾ったロシヤ語の辞書で片言のロシヤ語を覚え、ソ連軍の監督将校を相手に、ノルマの軽減と食糧確保のためのハードネゴシエイションの毎日であった。捕虜の分際で、よくもまあ恐れも知らずずけずけと勝手な要求を突きつけられたものだ、多分使命感と若さがそうさせたのであろうとは本人の後からの述懐である。ソ連軍の監督将校にもノルマ達成の弱みはあった。そこを計算に強い織さんがうまく突いた。そして織中尉は次第に収容所側から信頼されるようになり、苛酷なノルマもほどほどに緩和され、食糧も確保できた。十二月になるとー50度Cにもなる。鶴嘴もシャベルも歯が立たない酷寒のなかでも、みんなよく頑張った。ところがある日事件が起きた。頭のおかしくなった捕虜達が3名ほど脱走をはかった。織中尉はソ連兵に銃剣を突きつけられ、一室に監禁された。脱走者が出た責任を取らされて銃殺かと覚悟した。一週間ばかりで開放されたので、収容所長に何故殺さなかったのかと聞いたら、お前は責任感が強いから、自ら責任を感じてハラキリするのではないかと心配して保護したのだという。

 やがて1947年春、帰還第1陣50名を収容所から送り出した。織中尉の前でみんな泣いた。織中尉は独り収容所の屋根に上り、故国へ帰る捕虜達が、原野の果てに豆粒のように小さくなり、そして見えなくなるまで、手を振り続けた。それから次々と帰還者を送り出し、1948年秋には残りの殆ど全部を送り出したときには、漸く使命を果たした満足感とやっと肩の荷を降ろした開放感を味わった。最後に残った折中尉他数名が、残務整理を終えて故国の土を踏んだのは1950年であった。ソ連軍によってシベリヤに送られた日本人捕虜60万のうち7万が、過労と栄養失調で命を落としたと云われた中で、織中尉の収容所では、殆ど全員帰国することが出来たというのは大変なことであると言うべきであろう。

 織中尉は、帰国後会社に復帰し、私の上司として仕事上の苦労を共にさせて頂いたが、シベリヤの話は、自分からは殆ど語られることは無かった。しかし、1500名の捕虜の中に偶々同じ会社の社員が一人混じっていて、織中尉の働きを実際に見てきていたのである。

 会社に戻られてからの織中尉は、親しみを込めて織さんとよばせて呼ばせて頂く事にする。会社では織さんは常務までゆかれたが、織さんのもう一つの大きな「プロジェクトX」、建設総資金700億の石油化学コンビナート建設の仕事については、私も建設本部の一員に加えて頂いたが、この話は別の機会に譲り、今回は割愛する。

  織さんは復員後、奥さん共々山歩きがお好きなので、会社の山岳部に入って頂き、数々の山行にご一緒させて頂き、山岳部の会長も勤めて頂いた。また毎年かつてのシベリヤの戦友たちと「戦友会」を催し、箱根に一泊旅行をされてきたが、6年前の戦友会のとき不慮の事故で急死された。今年は7回忌に当たるので、奥さんを囲んで生前親しくして頂いた山の友達が集まって織さんを偲ぶ会を催すことになった。私は、織さんを偲ぶ会を催す度に、織さんがかつて若かりし頃、シベリヤの収容所からの捕虜奪還に命を掛けた「プロジェクトX」を思い出すのである。