唐突ですが僕には、大好きな妻がいます。
友達も、多くないとはいえちゃんといます。
それなのに、です。
毎日のように、なんとも言えない寂しさが襲ってきます。
特に、平日の昼間。
妻はまだ現役の会社員として働いているので、毎朝、「行ってきます!」と会社へ向かっていく妻を送り出した後、ガチャリと玄関のドアが閉まった瞬間。
家の中が、急にシーンとします。
テレビをつけても、静まり返ったような雰囲気に包まれています。
世間が慌ただしく動いている平日の日中に、自分だけがポツンと社会のエアポケットに取り残されたような、妙な焦りと孤独感。
「こんなに恵まれているのに、なんで僕は寂しがっているんだろう?」
実はこの寂しさ、調理師専門学校を退校したことも、大きく関係しています。
今年の4月、僕は新しい居場所や自分の役割を作ろうと、意気揚々と調理師の専門学校に入学しました。
ところが、現実はそう甘くありませんでした。
色々と事情があって、2ヶ月という短さで学校を辞めることになりました。
学校に行かなくなったあの日から、僕の心の中の寂しさは、さらに濃いものになっていきました。
朝、妻を見送ったあとの静かなリビングで、「今日も行く場所がないな」「今の僕って、一体何者なんだろう」という現実と向き合うたび、どーんと孤独感が押し寄せてくる。
夜になれば妻が帰ってきて、楽しくて温かい時間を過ごせますが、日中にポッカリ空いた心の穴が、どうしても埋まらない。
大好きな妻や友達がいるのに、どうしてなんだろうと、一人でモヤモヤと思い悩んでいました。
そんな時に出会ったのが、ある心理学者の言葉でした。
社会心理学者のロバート・ワイスが提唱した「2つの孤独」というお話です。
ワイスさん曰く、孤独には2つの種類があるんだそうです。
1つは、パートナーなど特定の個人との強い絆が足りないときに感じる『情緒的孤独』。
もう1つは、友人や同僚、あるいは、社会的な役割やコミュニティが足りないときに感じる『社会的孤独』。
そして、ここからがすごく大事なポイントなんですが、ワイスさんは「この2つは全く別物で、片方の引き出しが満たされていても、もう片方の引き出しを埋めることはできない」と言っているんです。
これを知ったとき、頭の中でカチャッとパズルがハマる音がしました。
僕には妻や友達がいてくれる。
だから情緒の引き出しは、満たされてる。
それなのに寂しかったのは、38年の会社員生活を終え、期待した調理師学校も辞めてしまったことで、僕の「社会の引き出し(社会的孤独)」が、いま完全に空っぽになってるからだと思います。
妻の愛が足りないわけでも、僕の性格がひねくれているわけでもなかった。
僕の心がただ、「もう一度、社会と繋がりたい」「自分の役割を見つけたい」と、必死にサインを出していただけなんと。
そう気づいてからは、毎朝、妻を送り出した後の静かなリビングの景色が、少しだけ違って見えるようになりました。
この平日の静けさは、僕が世間から見捨てられた時間じゃない。
次にどんな地図を描いて、どんな風に社会と繋がっていくかを、誰にも邪魔されずにじっくり考えるための余白なんだなと。
調理師学校を2ヶ月で辞めたのは、客観的に見れば挫折かもしれません。
でも、60歳になってなお、新しい世界に飛び込もうとした自分のエネルギーだけは、嘘じゃなかった。
心が守りに入ってしまっているなら、「めんどくさいから家でじっとしていよう」となるはずなので、心がまだまだ若い証拠なんだと、そこは自分で自分を褒めてあげようと思います。
僕の人生の地図は、いま、ちょっと手荒に描き直されている最中です。
でも、ベースキャンプには、いつも変わらず味方でいてくれる妻がいる。
これほど心強いことはありません。
この寂しさを無理に消そうとするのは、もうやめました。
寂しさは、次の一歩を踏み出すためのエネルギー。
妻への感謝をしっかり胸に抱きながら、この白紙の地図に、次は何を書き込んでいこうか。
焦らず、一歩ずつ、僕なりの新しい居場所を探していこうと思います。
