男性は懐かしそうに私の着ている着物を見ながら、遠慮がちに言葉を続けた。
「そのお着物以前今日子さんが着ていらしたものだと思いますが…。」
やはりこの色は目立つのだろうと思いながら頷く。
「‥‥君が、いえ、あなたのご主人が小さい頃、よく砂浜に座ってじっと海を見ていたんです。離れた所から今日子さんがその着物を着てずっと立って見守っていて…。なんだか何十年前の景色を見ているようで懐かしくなりました。」
夫がずっと海を見ている…?
私にとって夫はじっとしている事のない人で、彼にとって海は泳ぐための場所か、海岸線をドライブするためのものだと思っていた。
私の知らない夫の姿に戸惑う。
「私、今日子さんと同じくここで生まれ育ったので、今日子さんとは幼なじみなのですが、今日子さんも小さい時よくこの砂浜に座って海を見ていて…。ずっと海を見ている彼を見て『蛙の子は蛙だね』とからかったりしていたのですが…。」
そうですか。それは知りませんでした…。
「でも今日子さんは『あの子は海を見ているんじゃないの。海の向こうを見ているのよ。海の向こうには何があるのかなぁ、行ってみたいないぁって。ただただこの海が大好きでずっとこの海を見ていたいと思ってただけの私とは違うの』とよく言っていましたけっね…。」
海の向こう…。
「今日子さんが海を見ている時も少し離れた所で今日子さんのお母さん、あなたの義理のお祖母さんが同じように少し離れた所にずっと立っていましたね…。私の母は私が海を座って見ていたりしたら、首根っこつかまえて『何やってるの、早く帰るわよ』と家に連れて帰るような人だったので、じっと待ってもらえるお母さんを持った今日子さんをいつも羨ましく思ったものです。」
義母の母…。夫の祖母にあたる人は私と夫の結婚前に亡くなっていて会った事はなかった。
ずっと海を見ている小さな子供の後ろ姿を見ている二人の母…。義母は巣立って行く息子の近い将来を予感し、会う事のなかった夫の祖母はこの海から離れたくない娘の将来がどうなるのかしらどう思っていたのだろうか…。
私は海の向こうへ行ってみたいのか、この海のそばにいたいのか…。
終わり