しぇりです--

 

前回のブログ通り、

 

ずっと憧れていた字幕翻訳家にわたしはなる!

 

と宣言したわけですが、そもそもどうして字幕翻訳家(映像翻訳家というべきなんだろうけど、最初はそういうジャンル分けがあることすら知らなかったので…笑)を目指そうと思ったか。

その経緯を簡単に記録しておきたいと思います。

 

昔から洋画は断固字幕派の私。

アメリカンジョークが聞き取れたりすると、それがどういう風に日本語に訳されているのかを見るのが好きでした。

うまく訳されていると「なるほどすげぇ~~--!」とめちゃ感動して誰が訳しているのかをチェックして、リスペクトしたり。ちなみに、うまいなぁと思うとやっぱり戸田奈津子さんであることが多いです。あと個人的に好きなのは松浦美奈さんとアンゼたかしさん。お二方の名前を見るとなんか小躍りしたくなりますジタバタ。字幕がすーっと入ってきて好きです。なんでなのかはわからないけど。

ほかにも、最後のクレジットで「字幕:戸田奈津子」とか出てくると「あら、日本公開に本腰入れてる映画だわさすがだわ」と翻訳家で映画の価値を勝手に計ったりしていました(誰様)

映画も好きだし、字幕を見ていろいろ考えるのが好き。でも、それを職業にするなんて畏れ多くて全く考えていませんでした。字幕翻訳家なんて世の中に数人しかいないと思っていました。実際にハリウッド映画のクレジットに載る人は実際そう多くはいないのでしょうけど。

 

字幕翻訳家の存在をはじめて意識したのはいつだったかあまり覚えていません。

高校生のときにはその面白さをなんとなく感じていたように思います。なにを考えたのか、ネットで見つけた字幕翻訳コンクールに勢いで応募したこともあります。当然玉砕しました。--

そりゃそうだ。映像翻訳の参考書の1ページ目に書いてあるような基本中の基本ルールから何も知らなかったわけで。採点者に申し訳ないです。そのくせ、受賞者の作品を見て、「私のとそんなに変らんじゃんと思っていたハッピー野郎でした。ぽっ

 

大学に入ると、映画とか字幕とかに留まらず、「世界とつながっていたい」と思う気持ちが強くなりました。

国際文化系の学部に入学したからかもしれません。3年生の時には1年間、アメリカに交換留学もさせてもらい、世界の広さを知り、逆に日本の良さを知ることができました。

でも振り返れば大学生活の中にもしっかりと"翻訳"というキーワードがありました

それは卒論です。

ゼミは「国際社会学」を専攻しました。先生は権威あるすごい方なんだけど、生徒に対しては寛大で穏やかなおじさん先生で、卒論も「興味持った国際社会学っぽいことを突き詰めてみて♪」とザックリしたお題でした(国際的な学部だったから卒論を英語で書かなきゃいけなかったのがなにより辛かった)。

そこで「この辛すぎる卒論という壁を楽しみながら突破したい」と思ったか私が選んだ卒論の題名は

「"Fuck" and its translation in Japanese Subtitles(日本語字幕における"Fuck"の訳し方について)」

 でした。--

頭おかしいと思いきや、意外とおっちゃん先生にはウケて、とてもいい評価をいただけました。じっ

なにより、書くに当たって沢山の映画とふれあい、沢山の日本語字幕に出逢うことができたので、すごくいい題材を選んだなと我ながら思っています(本当にこのF-wordは奥深いんです!!!)。

でもこの段階でも、字幕翻訳を生業にすることには考えが至りませんでした

当たり前のように就職活動をして、「いつか国際的なフィールドで働かせてもらえるかも」という思いで、メガバンクに入社しました(そして退社しました笑)。

 

………


……




そんな感じで月日は流れ、2週間くらい前のこと。モヤモヤ絶頂期。

娘をあやしながら録画したドラマを1.5倍速で流すのがルーティンになっていました(この時期のドラマはほぼ見ました。12作品並行して観ていることが判明し自分でもびっくりしましたじっ

が、どうせなら英語を聴かせてあげよう・・!とamazonプライムのSUITSのドラマを流し始めたのです。ていうか日本のSUITSがうさんくさくてあんまり好きになれず、原作が見たいと思った。--


そしていつも通り、「言ってること全然聞き取れなかったな。今こう言ってたのか。字幕つけた人すごいな。なるほど今の訳うまいな」とブツブツ言ってる時、



「…………」




「!!!!!!!!」




そうじゃん!!!あるじゃない!!やりたいこと。



ほんといきなり気付きました。

私はずっと字幕翻訳者に憧れていたんだと

失敗を恐れるタイプなはずの私が、何も考えずにコンクールに応募した時からずーっと。

映画を見ながら「翻訳してる人すごーい」と思う度に憧れを深めていたんだと、気付いたんです。


これからの人生、何か新しいことに挑戦するとしたら、この道しかないと思いました。


そして前に言っていたモヤモヤが、晴れたのです。




とりとめなくなっちゃいましたが、

これが私が映像翻訳を志すに至った経緯です。

ではまた