前回のブログでは、心の外側について考えたので、今回は心の中を覗いてみたい。
ただし、僕だけしか当てはまらない異常な点があったらご了承を。
自分を観察してみると、「心」というものは一枚のスクリーンではなく、いくつかの層が同時に重なって動いているように感じる。
静かに考えている時も、実際には単一の思考だけが動いているわけではない。
むしろ、いくつかの“音源”が同時に鳴っているような状態に近い。
① 考える自分
まず中心にいるのは、「考えている自分」だ。
ブログを書こうとしていたり、何かを理解しようとしていたり、言葉を組み立てている主体。
ただしこの“主体”も完全に単独で動いているわけではなく、後ろから別の要素に影響されている。
それでも一応、「考えている」という感覚の中心にいる層だ。
② BGM
それと別に、一定のリズムとして流れている音楽がある。
僕の場合、今日はユーミンの曲だが、80年代のロックや最近のラテンポップの場合もある。
これは意識的というより、頭のどこかでずっと流れている“背景音”に近い。
思考のテンポや気分のトーンを、直接ではないが変えている。あるいは気分に合ったBGMが流れているのかもしれない。
言葉で考えていても、音楽にも影響されている。
③ トークラジオ的なノイズ(日本語・英語)
さらに、断片的な言葉の流れがある。
日本語のフレーズ、英語のニュース、誰かの声の切れ端のようなもの。
意味としてはまとまっていないが、ひたすらしゃべり続けている。
それが思考の途中に割り込んできたり、逆に思考の素材になる。
静寂というより、“常時オンのラジオ”に近い。
④ 過去の記憶・夢・未来の想像
もう一つの層は時間的、空間的な広がりだ。
過去の場面がふと再生されたり、夢の断片が残っていたり、未来のシナリオが勝手に展開したりする。新潟の実家やスペイン語研修で訪れたグアテマラなど、異空間が混ざることもある。
これは意識的ではなく、勝手に立ち上がってくる感じだ。
⑤ 友人・家族・故人・本の著者のコメント
さらにもう一層、他者の声がある。
実際に今その人が話しているわけではないが、内側で“発言しているように感じられる声”だ。
友人の言葉、家族の反応、もういない人の言葉、読んだ本の著者の視点。
それらが完全に消えることはなく、思考の中に差し込まれてくる。
自分の考えでありつつ、他者の視点が混ざっている。
多層というより「同時進行」
こうして見ていくと、心の中は階層というよりも、複数のチャンネルの同時再生に近い。
一つの思考が前面に出ているように見えて、その背後では音楽、言語、記憶、他者の声が同時に流れている。
その全体を、「これが自分の考えだ」とまとめて感じている。
拡張心とのつながり
内側の多層性と、外側の拡張性は、同じ構造の“内外反転”のようにも見える。
おわりに
「われ思う」とは、思考の主体ではなく、同時再生をまとめて“自分”と感じる編集機能なのかもしれない。