(再録・2022.4.15既出)
昨日夕方近く、地域の活動で一緒だったSさんが大変久し振りにやって来る。昨年末にバイクに乗っていて、路地からノーブレーキーで出て来た車に(文字通出会い頭で)ぶつかり跳ね飛ばされる。救急搬送された臨空総合医療センターの集中医療室で三日を過したそうで、運ばれてしばらくは意識もなかったそうだ。命に別状はなかったが首(頸椎)の神経が損傷し、結果両手に不具合が生じそのリハビリで整形外科病院に転院、そこでの2カ月ほどの治療を経ていまは自宅で療養している。絶えず両手が痺れている感じで運転は何とか出来るようになったが、食事などはいまも特殊な箸を使用しているらしい。仕事(ガス設備会社の経営)への本格的な復帰にはもう少し掛かるようだが、頑張って一日も早く本復して欲しいものだ。手術後いまに至るまで精神的にもかなりきつかったようで、その辺のことをわりと詳しく話してくれる。精神的なケアーの一部でもわたしなどで役立つことが出来ればと思う。当地に引越しして来ていちばん仲良くなった人だけに、人ごととも思えないところがある。現在のリハビリも含め、すべてが日にち薬であればよいと思う。
本の話である。ウクライナのこと、そしてSさんのことなどを思いながら、アランの「幸福論」(白水社・2300円+税)、「スピノザに倣いて」(平凡社・2000円+税)を本箱から取り出す。「幸福論」では、帯の辻邦生の推薦文の冒頭に『人生における「微笑」の役割』とある。その言葉に尽きると思うが、本書でその辺りを確かめようと思う。もう1冊の、「スピノザに倣いて」は、哲学者スピノザをテーマに、同様に帯に「スピノザ 思惟の導者としての」「アランがスピノザを反復する スピノザ再評価と著者独自の思考の生成とがクリティカルに」「アランがアランと成る。統合を遂げた幻の処女作」とある。いま興味を募らせている、キリスト教神学という観点からも大変刺激的な読書になりそうである。
「幸福論」 哲学のエクリチュール アランの『幸福論』を読み返すと、われわれ自身の<理(レゾン)>による幸福なしには、世界の幸福はないし、世界の幸福がないかぎり、われわれの幸福もないことがよくわかる。だが最も手っ取り早く行えるのは、われわれ自身が幸福になることである。いま、ここで、直ちに。それは自己に対してほほ笑み、周囲に対してほほ笑むことだ。(辻邦生)
「スピノザに倣いて」 神の必然に身をゆだねなければならない。そこから、自己の内部に隠遁することによって、恵みに満ち満ちた「人の子の霊」に至る。スピノザ再評価と著者独自の思考の生成とが、クリティカルに結合した幻の処女作。本邦初訳。
(目 次)
スピノザの生涯とその著作
スピノザの哲学
序 章
第一章 反省的方法
第二章 神と魂について
第三章 感情と情念について
第四章 人間の隷属について
第五章 理性について
第六章 自由と至福について
結 語
訳者あとがき
写真は、東山丘陵運動公園の遊歩道で撮影する。
