(再録)渡辺京二「維新の夢(渡辺京二コレクション[1]史論)」(ちくま学芸文庫・1500円+税) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2022.1.24既出)

気温は午後3時で9度とここ数日ではいちばん高く、日差しもあるので暖かく感じる。女房も、近所のセブンイレブンまで娘の車で出掛け、帰りはウォーキングを兼ねて歩くも、先日買ったL.L.Beanのマウンティン・パイル・フリース・ジャケットを着ていると汗ばむほどであったようだ。ウォーキングを出来ないことはないが、このコロナ感染下マスクをしてまで歩く気がしない。もう1カ月ばかり様子を見ようと考えている。今朝から読み始めた、「安岡章太郎集 9」(「流離譚 ㊦」を収録の)に頻出する古文書にも徐々に慣れて来たのと、坂本龍馬が登場して来た辺りで読書のスピードも上がる。司馬遼太郎が描く坂本龍馬と少し違っていて、どちらがより実像に近いかは知らないが興味のある人物には違いない。わが国の歴史の中でも幕末そして明治維新の頃は特別かも知れないが、本書で土佐藩が中心の様々な動きが見て取れるのも一興がある。

 

昨日に続き渡辺京二の著作から、「維新の夢(渡辺京二コレクション[1]史論)」(ちくま学芸文庫・1500円+税)と「民衆という幻像(渡辺京二コレクション[2]民衆論)」(ちくま学芸文庫・1500円+税)の2冊のことを。「維新の夢(渡辺京二コレクション[1]史論)」は、帯に「日本近代の闇を逆照射 生活民の胸奥にひそむ幻想を見据え 明治~昭和の日本を根底から据え返す」とある。「維新」を生活民の立場から問い直す本書、当然のことに渡辺京二がどう捉えたのか興味がある。もう1冊の、「民衆という幻像(渡辺京二コレクション[2]民衆論)」も同様に帯によれば、「小さきものの死 それは歴史に埋もれた理不尽な死である  著者畢生のテーマをめぐる論考を集成」とある。渡辺京二のライフワークといってよい「民衆論」の成果を集成したものである。これら2冊で、「渡辺京二コレクション」を構成しているが、はじめて渡辺の著作に取りかかるものには格好のものであると思う。

 

「維新の夢(渡辺京二コレクション[1]史論)」 『逝きし世の面影』の著者渡辺京二は、日本近代史の考察に、生活民の意識を対置し、一石を投じてきた思想家である。その眼差しは表層のジャーナリズムが消費する言説の対極にある。本巻には、西欧的な市民社会の論理では割り切ることのできない、大衆の生活意識にわだかまる「ナショナル」なものを追求した「ナショナリズムの暗底」、明治国家への最大の抵抗者としての西郷隆盛を常識的定説から救抜する「逆説としての明治十年戦争」、北一輝と日本近代の基本的逆説の関連を問う「北一輝問題」など、日本近代史を根底から捉え返すことを試みた論考を集成する。

 

   

 

「民衆という幻像((渡辺京二コレクション[2]民衆論)」 冬の夜、結核療養所で聞えた奇妙な泣き声。日中衰弱しきって運び込まれた母娘は、朝を待たずに逝った。それを知った著者は、娘の体をさする瀕死の母親のやせた腕を幻視する-「小さきものの実存と歴史のあいだに開いた深淵」、それは著者の原点にして終生のテーマとなった。近代市民社会と前近代が最深部で激突した水俣病闘争と患者を描く「現実と幻のはざま」、石牟礼道子を日本文学に初めて現れた性質の作家と位置付けた三つの論考、大連体験・結核体験に触れた自伝的文章など39編からは、歴史に埋もれた理不尽な死をめぐる著者の道程が一望できる。

 

   

 

写真は、東山丘陵で撮影する。