(再録)長谷川郁夫「吉田健一」(新潮社・5000円+税) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2021.12.26既出)

おそらく今年一番の寒さ(午後3時で5度)で、書斎にも室内暖房器を入れかつ遠赤外線カーボンヒーターを付けている。2匹の猫(17歳になるノンと13歳のチビ、ともに雌)も冬の間は、書斎の椅子の上(猫用の毛布を敷いている)で寝ていることが多い。わたしは出かけることもないので、綿パン(裏地付き)でフラノのシャツにフリースのプルオーバーその上からジャンパー(裏地付き)を羽織っている。現役を引退してからは外出着も含めて上から下まですべてL.L.Beanである。現役の頃に愛用のブルックスブラザーズと比べると安価であるし、少しだけカジュアルなところが気に入っていつも着用することになった。ただ、上着に関したら(チェック柄のフラノのシャツを除けば)すべて紺系統でこれは若い頃と変わらない。紺しか似合わない気がする。スーツやブレイザーについてもそうで、ネービーかチャコールグレイを何着か用意しそればかり着ていた。ワイシャツは徹底してホワイト、レジメンタル・ネクタイに漸く色が見られるくらいですべてのベースは紺(ネービー)にあった。一度、茶系のスーツを買ったことがあるが、一度も外へ着てゆくこともなく義弟にプレゼントした。また、何かのお礼でジバンシーのネクタイを貰ったことがあるが、これも一度も締めずにもう一人の義弟にやった。かなりの買い物嫌いであるが、着るもの(下着は別として)だけは自分で見極めて買っている。と言っても、ブルックスブラザーズは高島屋か直営店へ行くだけのことだし、L.L.Beanは専用通販で買えるのでそう手間は掛らない。スーツやブレイザー、そして靴(リーガルのウィングチップやローファー)のいずれもがいい状態で残っているが、そろそろどこかで始末する必要を感じている。ネクタイ(ニューヨークで買ってきたブルックスブラザーズの)は最低限を残し50本ほどを隣に住む次男にやったが、スーツなどの流行もあるのかほとんど締めていない。まあ、既に役割を終えてしまっているのでどうでもいいことではあるが。それにしろスーツやブレイザーを着る機会が失せて、礼服(それもほとんどは葬儀用しか着用しなくなっているが、これも一応ブルックスブラザーズ)だけがあればよいようなことである。

 

本の話である。評伝ものを読もうと思い手元に持って来たのが、長谷川郁夫「吉田健一」(新潮社・5000円+税)であるが、2段組653頁の大部のものであるので片手間というわけには行かない。全9冊からなる「吉田健一集成」(新潮社・各5000円+税)も保有していて、こちらも来年あたり集中的に掛りたいので、その前にまず本書を読もうと思っている。

 

長谷川郁夫「吉田健一」 批評、随筆、小説が三位一体となった独自の透徹した文学世界を築き上げた異形の文学者―。編集者として最晩年にその謦咳に接した著者が生涯と作品のすべてに肉薄する、決定版評伝。
 ケンブリッジ留学時の知的な冒険、河上徹太郎との美しい師弟関係、中村光夫、福田恒存、大岡昇平、三島由紀夫らとの鉢の木会での交遊、父・吉田茂から受け継いだ士の精神―言葉の可能性を信じた生涯の軌跡。
 文学は滅んだ、というべき時なのかも知れない。しかし、そんななかで、没後の新しい読者は“大人”の文学に接して、その健全性を保証してくれているのを知るのは、こころ強いことと思う。吉田健一は生きている、と確認されるからである。いうまでもなく、文学は言葉だけで築かれた世界である。言葉の可能性を確信して、それを極限まで追求した吉田さんの、愚直なまでの努力の跡を辿りたいと、アナクロ的な試みに挑んだのが本書である。ながい間抱きつづけてきた夢だった。(あとがきより)