(再録・2021.9.11既出)
午後から、泉南市に住む弟がやって来る。叔父の遺産相続に関する話や私たちが育った岸和田の旧居の話などする。先日もわざわざ岸和田の湾岸道路沿いにあるショッピングモールに車をとめ、そこから徒歩ですぐの旧市街地を散歩してきたらしい。30年近いサラリーマン時代は転勤に明け暮れ(その後、岸和田駅前に画材店を開業したが)、わたしが13年前に当地に引越しして来るまで岸和田の旧居(結婚して10年近く、旧居の隣のマンションで暮らした他は)でずっと暮らしたのとは大違いで、その辺「故郷」についての思い入れも少し異なるかも知れない。
本の話である。先日読了の、竹内 洋×佐藤 優「大学の問題 問題の大学」(時事通信社・1500円+税)が大変面白くて、もう少し竹内 洋のものを読もうと考えてアマゾンに注文し本日届いたのが、竹内 洋「大衆の幻像」(中央公論新社・2300円+税)と「教養主義の没落(変わりゆくエリート学生文化)」(中公新書・780円+税)の2冊である。本箱にも竹内 洋の著作が何冊かあるが、彼のものを読むのは「日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折」以来である。それも20年以上前の話で、内容に関しては皆目覚えていない。「大衆の幻像」は、珍しくも時事評論の類いで、帯に「超ポピュリズム時代の希望とは(震災後の「空気」を読み解く評論集)」とある。面白そうである。読了後にあらためて
竹内 洋「大衆の幻像」 指導者の劣化か 醜い大衆の反映か 民意と世論に踊る政治家、テレビのなかで消費される知識人、「上から目線」を悪とする社会……
目次より
大衆高圧釜社会の風景
・「国民のみなさま」とは誰か
・超ポピュリズム時代に希望はあるか
政治家と知性
・日本政治を覆う「反知性主義」
・ポピュリズムは民主主義の鏡
メディア知識人論
・テレビの中で消費される知識人
・吉本幻想の仕掛け
歴史にみる知識人
・知識人の野望
・岩波文化
自分史から見る
・大学今昔
・教養としての歴史
・「教養主義」が死滅した後に
「教養主義の没落(変わりゆくエリート学生文化)」 1970年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落課程に光を当てる試みである。